休日のはちまきのダーリン

約束の時間ぴったりにスマホに着信が来た。飛び上がらんばかりに驚いた。その時私は本を読むのに夢中になっていて、ビデオチャットの約束をほとんど忘れていたから。それに日頃、電話がかかってくるということがなかったせいでもある。

「外はマイナス37度だ」
サーシャは数字と日付を日本手話で表現するけれど、「3」だけロシア手話になる。親指、人差し指、中指の3つの指で表現する「3」。
マイナス20度の寒さなら私は思い出すことができる。まつげが凍って、瞬きするとくっついて目が開かなくなる。息を吸うと鼻の中で凍る。実際、鼻が痛くて息をするどころではない。あまりの冷たさで手も足も顔も、全部痛い。1分たりとも我慢できないような寒さだ。
マイナス37度となればもっとやばいに違いない。

そんな日にも雪かきの仕事をする。
「雪かきをしては建物の中に逃げ込んで、温まって、また雪かきをする。その繰り返し」
声をまったく出さないでサーシャは語る。スコップで雪をすくう動作、建物の手話、手をこすって温める仕草、手袋とマフラーと帽子をつけるジェスチャー。
その間、私の頭の中には今しがた読んでいた小説の言葉がちらちら浮かぶ。

Shoveling snow.

寒くて大変で、給料が少なくて、しかも雪が降ればまたいちからやり直し。ため息をつくサーシャをなんとか元気付けてあげたかったけど、私はなんと言っていいのかわからない。

Shoveling snow.

まるでサーシャのために書かれたみたいな小説じゃないか。けれども彼は本を読まない。英語でもロシア語でも。

「タイではクリスマスツリーを12月31日まで飾るんだって」
へぇ。
「ロシアでは1月14日まで」
「1月7日じゃなくて?」
「14日までだよ」とサーシャは言う。
ロシアのクリスマスは1月7日だけれど、その後一週間ツリーを飾っておくのらしい。
いいな。少しだけ長くクリスマスの気分を楽しむことができる。
「日本では12月25日までだよ」
「えっ、2月まで飾るの?」
「ちがーう、12月まで!」
「12月」の日本手話はともすれば「2月」に見えてしまう。私はロシア手話で言い直した。
В Японии, декабря, двадцать пять.
手話をしながら私の口はめちゃめちゃな語順でロシア語をしゃべってる。画面の向こうに私の声は届いていない。だから声なんて必要ないんだけれど。
「なんだ、1月、2月ずっとツリーを置いておくのかと思った」
笑う時だけ、サーシャの声が聞こえた。
日本手話とロシア手話とロシア語をごちゃ混ぜにしながら、私たちはうまく会話を成立させる。

サーシャはいろんな国のろう者とビデオチャットをしている。タイやベトナムやカナダの手話について教えてくれた。
タイ手話はアメリカ手話に似ているのらしい。1から10まで数字は全く同じ。
「タイの人とはコミュニケーションできたけれど、ベトナムの手話は全然わからなかった」
手話ならなんでも通じるわけではない。事実、私とサーシャの間でもミスコミュニケーションはしばしば起こる。
胸に右手の手のひらをあてる、日本手話でいう「わかった」の手話。それがどういう意味なのか私にはどうしてもわからない。一生懸命、サーシャは説明してくれようとする。
アメリカ、アメリカ。
アメリカ?
サーシャの手がアメリカの上に何かを描く。それでも私に伝わらない。
指文字で、к,а,н,а,д,а。
英語ではCで書かれるところを、ロシア語ではКで綴る。そのことに思い当たったとき、はっと頭に閃いた。
カナダ!
アメリカの上にある国、とサーシャは説明してくれていた。手のひらを胸に当てる手話はどうやら国旗のメープルの葉っぱを表しているみたいだ。
後になって私は思い出す。カナダの手話はアメリカの手話とフランスの手話が混ざってできたんじゃなかったかな。そう、私は卒論に書いていたはずだ。カナダのろう者と話したことはないけれど、本を読んで知った。いや、大学の講義で聞いたんだっけ。
ひょっとしてサーシャは、カナダの手話についても知っていて、教えてくれたかもしれない。けれども結局、「カナダ」の言葉当てクイズに終始してしまった。伝えることにあまりにも一生懸命になっていて、肝心の話そうとしていたことを忘れてしまう。そんなことも。

「恋人とはどう?」
私は両手の親指と人差し指を合わせて作ったハートをぱかっとまっぷたつに割る。「別れた」
「別れた?」
そう言ってサーシャは片耳に片手を当てる。話してごらんよ、ってサインだ。
けれども私は、何も話すことができない。ため息をついて肩を落としてみせる。それから言葉のたりない空白を埋めるみたいに、意味もなく曖昧に笑う。
ありがたいことにそれ以上、突っ込んで聞かれることはなかった。
「ひとりの時間はプリヤートナだ」
サーシャは両手を胸の上で重ね、下へ向けてなでおろす。приятно、プリヤートナ。「心地よい」とか「すてきだ」という意味のロシア語を、手話ではこう表現する。

奥さんと娘と別れてひとりなんだとサーシャは言う。その話は目にタコができるほど繰り返されたことだけど、私は尋ねた。
「なんで別れたの?」
「なんで」の手話がわからない。指文字で私は聞く。почему、パチェムー?
サーシャは悲しい顔をしないし笑ってごまかすこともしない。涼しい顔してそのわけを教えてくれた。
「自分は働いていないくせに、お金が足りないと文句ばっかり言うから」
へぇ。
サーシャは続ける。「友達のうちにお客に行きたかったけど、みんな断られちゃった。コロナだし」
コロナの手話はロシアでも同じだ。握った片手の後ろでもう片方の手を開いて回す。
「ひとりでいる時間の方がプリヤートナだよ」彼はその言葉を繰り返す。
プリヤートナ。
この手話、とても便利なんだよね。「良い旅を」「良い夢を」みたいなあいさつにも使う。
「良いお年を」
最後にそれを言って電話を切った。

話したくないわけではなくて、どうやって話していいのかわからなかった。
手話だから?
いや、日本語であっても話すことは困難だっただろう。どんな言語でも説明できないと思う。とてもとても悲しいのに、でもはたから見たらこれってコントだよなあと突っ込みたくなるような、泣きそうで、どうしようもなくて、でも笑えてきてしまうような、そんなおかしな恋を語る言葉を、私は知らない。
それでももし、サーシャに話すことができたら彼は笑って聞いてくれただろうか。もし彼がダンスダンスダンスを読んだら、どんな風に感じるのだろうか。