言葉の一閃

合理化をよくしてしまう。

合理化とは、失敗したり、手に入らなかった事象に関して「元々あんなものは欲しくなかった」と自分の中で決めつけてしまうことを指す。
ストレス下に置いて無意識のうちに人間が自分の心を守るために行ってしまう行為だ。

普通に生きているだけで悲しいことや苦しい事は降ってくる。人間関係の中で、相手を意図的に傷つけようと互いが思ってなくても、だ。

最近少し苦しい出来事があった。私は自分の中でその出来事を消化しようと色々と逡巡しては疲れてしまい、他の人の意見を聞きたいと思った。

知り合いで心の強い人がいる。自分のコンプレックスと徹底的に向き合ってきた人だ。
私はここ最近で身の上に起きたことを、いつものように冗談めかして話しながら、「仕方ないね」と合理化を無意識で口にしてしまっていた。

以下の言葉はその人から言われた言葉である。

「あなたは起こった悲しい出来事を無視するにはものを考えすぎてる。」

「あなたは他人の目を気にして自分の意思を殺しながら生きている。自分の人生の責任を他人のせいにしようとしてない?」

鋭い言葉の一閃だ。喉元に刃を突きつけられた気持ち。私の友人たちは時々切れ味の鋭い言葉を投げかける。
それは、私がそれを受け止めることが出来ると分かってのことだろう。そういう人間こそ大切にすべきだとよく知っている。

自分と向き合うのは辛い。しかし向き合った分だけ糧にできる気がした。私は進む事をやめない。

パンの耳に僕はなった

子供の頃、夢見た職業はありますか?

花屋さんになりたいだとか、お菓子屋さんになりたいだとか。パイロットになりたいだとか野球選手になりたいだとか。

子供とは可能性の原石であり、なりたい職業をいくらでも夢見ることが可能である。やはり夢見ることって素敵だと思うし、子供の頃に夢見た職業に大人になって就けるって素敵なことだと思う。

皆さんは、今の自分はどうですか?子供の頃に思い描いた未来のようになっていますか?

きっと、子供の頃の夢が叶わなかった人ってのはパンの耳になった様な気分かもしれない。

小麦粉たちは、みんなパンになりたがってる。でも、不運にもみんな美味しい、白い部分になれるわけではなく、不本意にも耳になってしまう小麦粉たちがいる。

こいつらは、固くて食べにくいし、サンドイッチを作る時は切り落とされてしまうし、嫌う子供たちもいる。

子供の頃の夢が叶わなかった人は、確かに気分はパンの耳かもしれない。不本意かもしれない。

けれども、パンの耳だって美味しいよね。

夢叶わず、パンの耳となって人でも、その持ち味を発揮して頑張ればいいと思う。パンだって白身だけが全てではないのだから。