昨年、森の映画祭でお世話になった谷合竜馬さんが、家入一真さんの出資を元手に「POTLUCK」というサービスをローンチした。月額制のテイクアウトサービスで、事前にアプリから予約をしておくと、店舗オリジナルのお弁当を受け取れるというサービスだ。提携店舗が400店ほどあり、利用者は好きなお店のご飯を、待ち時間なく受け取ることができ、好きな場所で食べることができる。先日ベータ版をローンチし、ついに一万食を突破したそうだ。めでたいし、実に嬉しい
そんな「POTLUCK」のコンセプトは「昼食を通じて新しいコミュニケーションを創造する」だ。消費者の時間や場所の制約をなくすためのサービスかと思いきや、彼の目標は、お弁当を介した人とのコミュニケーションだったのである。
僕はお弁当がとても好きだ。それはお弁当独特の献立や色合いを好んでいるのではなく、人が誰かの時間を想って作るという行為に魅力を感じている。
当時付き合っていた彼女は、「弁当を作る!偉いでしょ!」というブームが一か月おきくらいに起こる女性だった。理由は様々で、ある時は経済的な理由もあったし、ある時は僕を束縛するために(インターン先にキレイな女性が多いと伝えると、翌日から弁当を渡された。これを女性の前で食べろと指示をされていた)弁当をつくって持ってきてくれていた。
当時僕は午前中の授業にまったく出席しなくなっていたので、お弁当を食べるべき時間に大学にいることがほとんどない生活を送っていた。僕はベットの中でぼんやりしていると、突如彼女が玄関を開けて入ってくる(当時僕は玄関に鍵をかけないことにしていた。理由は誰かが入ってきてほしいから)彼女はベットで寝ている僕のもとにやってきて、ほっぺをつねったり、鼻をつまんで息をとめたりひとしきり遊ぶと、「ちゃんと大学いきなさいよ」と言って出ていく。何しにきたんだよ。と疑問に思いつつも大学には行く気力がなくぼんやりとしている。喉の渇きを感じて隣室に移動すると、テーブルの上に何か置いてあることがわかる。「爆弾かもしれない」と怪しんだが、それは紺の保冷バックに入ったお弁当だった。
不思議なくらい、お弁当には説得力がある。インターンのときは束縛力を発揮した。おそらく、僕は誰に「大学にいけよ」と促されても、内心知らねーよと思い無視するのだ。しかし、僕はお弁当を前にして、大学にいかなくちゃなあと思いを改めた。このお弁当は決められた時間に、決められた場所で食べることを想定して作られたものだ。それを無下にはできないと思ったのだ。
弁当の中には、必ず簡単なメッセージが添えられていた。当時はCOACHのメモ帳(そんなものがあるのかと思う人がいるかもしれないが、本当にCOACHののメモ帳が存在する)に一言二言書いてあった。だいたいは「今日のから揚げは失敗しちゃった」とかセルフハンディキャップに使われていた。はたしてこのコメントはどれくらい有意義なのだろうと疑問に思ったが、僕が弁当を食べる姿を想像してハラハラしている彼女のことを考えると、とても価値のあるもののように思えた。
弁当を食べていて、「すごいなあ。弁当」と感嘆していた。俺を午前中に大学に連れ出すなんて。素晴らしいソリューションである。
しかし、弁当の真のすごさは食後に気がついた。「やべえ。弁当箱返さなきゃいけねえ」しかも気の利いた感想を添えて。僕は手元のルーズリーフを適切な大きさにきって感想を書いた。「から揚げは予想以上においしかったよ。塩気が足りないかもしれない」みたいな文章を添えて、弁当箱を洗い、夕方に彼女の家に出向いて弁当を手渡した。その後彼女の家でお茶を飲んだり、本を読んだりして結局長井してしまったのだ。そのような日々は彼女の「弁当作る!偉いでしょ!」の波が収まるまで続いた。
というエピソードがある。お弁当の魔力はとんでもない。食べる前の行動を規定して、食べ終えた後の行動も規定してしまう。その中に適度なコミュニケーションが生まれる。「愛妻弁当」という言葉に「愛」と「狂気」を同時に感じてしまうのは、弁当が持つ束縛性能にあるのだろう。
今日も読んでくれてありがとう。お弁当にはストーリーがある。それは良いコンテンツになると確信している。カンタがくぼきに弁当を持っていくやつみたいね。吉田のお弁当もお待ちしています。