なんでこんな写真撮ったかは忘れた

明け方4時から、雨が降り始めた

外は強い風も吹いていて、窓の外では黒い木々が大きく揺れているのが見える

6時ごろになると雨はもっと激しくなり、

私は部屋の布団の中で、それを愉快な心地で眺めていた

悲惨な月曜日の襲来

ほらほらみなさん!

お仕事のお時間がやってまいりますよ

さよならみなさん!

早くお仕事へと向かうのだ。そしてこの雨に流されて、そのまま全員海に消えちまえ、グッドラック。

私は今日はお休みなので。

こちらのおふとんで優雅に寝んねするのだ。うきゅきゅ。

 

と、思ったらもう楽しくて嬉しくて目が覚め切ってしまって、朝からせっせとカレーを作った。織部とオリーブを混ぜた釉薬をかけた、自作の器によそう。

これがなんとも良い。

慎み深い丸みと青色、それでいて触った時の無骨な堂々たる質感

なぜか知らんが、カレーとめちゃくちゃ相性が良く

綺麗ですよ、自分で作って言うのもなんですが。

ああそう、でもねえ、言わせていただくと、ここらへんの「陶芸教室」なるものは本当に酷くて、金ばかりとって、そのうえ少しも好きにさせてくれないんです。あれやこれやとずっとやかましくて、暇なのかずっとセンセーがろくろの前に立ちはだかって、いいですね、とか、お上手ですねとか、あら、今日はお茶碗ですか?とか話しかけてくる。しかもどんなに酷いものでも、完成させよう(焼かせよう)としてくるのがまじで理解できない。うるちゃいんじゃちった黙っとけどっか行けと思うわけだけど、そもそもその主張こそ根本が間違っているのであって、つまりそこは陶芸「教室」なわけだから、彼らもなにかを教えたりせねばならんわけで、そもそも焼かねば、それは捏ねた土が悲しく乾いただけのものであって、そうよほら、こういう風に考えれば、折り合いもつくでしょう、生きるのよ、私、と自分に言い聞かせて生きながらえてきた日々、その結果、その人生の産物ともいうべき無駄にツヤツヤした色鮮やかなゴミを大量に生み出してしまっているわけなんだけれども

ま、でもこの器は割と気に入っております。

綺麗ですよ。自分で作って、更に二度言うのもなんですが。

休みで気分がいいので、くだらんことを書きに来ました。

気分がいいことと健やかであることは、時に同義ではありません。けれどそれは大きな問題ではないように思われます。あなたに実害は与えません。それがわたくしのささいな取り柄ですから。

その他特筆事項ございません。退散、失礼。

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