私が自信を持てないのは、根拠がないからだ。根拠のない自信なんて持っていてもしょうがないじゃん?
試験を受ける人間はどんなものにでも縋りたくなるものかもしれない。例えば、学問の神様からおみくじを買い、カツカレーを食べ、ラッキーカラーで勝負下着を揃えてみる、とかね。どこにも根拠はないとしても、「これをしたら合格できる」と信じたくなる気持ちはわかる。
安易なおみくじなど信じない私でも、まるで呪縛みたいにずっと頭の片隅に残っている言葉がある。
「あなたは推薦に縁がないね」
とは、私が受験生だった時に言われた言葉だ。高校と大学で、それぞれ推薦入試を受けた記憶がある。結果は不合格。それでがっかりしていたら、同じ学校を一般入試で受けて合格してしまった。
推薦に縁がないかどうかは、本当のところはわからない。推薦と一般入試とでは試験内容も異なるし、違った基準で評価する。面接で自分をアピールするよりも、学力で評価された方が結果として合格できたというわけだ。大学と高校、たった2回の結果から全ての試験に「推薦に縁がない」ということなどできないはずなのに。
今回の敗因は(まだ失敗と決まったわけではないけれど)、推薦で受けたことではなく、もっと具体的かつ建設的なことだ。
「聞こえない人が聞こえる人の中で働くことで、なんのメリットがあるのか」を、自分の中で明確にできていなかった。もしそれができていたら、ぜひ私を採用してください!と自信を持って面接に臨むことができただろう。
面接を終えた後、合格した後の配慮について聞き取りがあった。そこで話した内容については、試験の合否に関係ないことになっている。面接官の質問に順番に答えていった。自分の聞こえについて。働く上でどのような困難が予想されるか。どんな配慮を希望するか。
できないことははっきり伝えた。例えば、電話ができないので、代わりにメールで対応したい。1対1の会話では聞き取ることができても、マスクをしていると難しい。会議の時には情報保障が必要であること。
「もし子どもが怪我をした場合にはどのように対応しますか?」
私はめちゃめちゃ悔しかった。なぜかというと、なにも言えなかったから。
逆に質問したらよかったんだ。あなたが聞こえない人だったら、どんな対応ができると考えますか?
一緒に考えてはくれないんですか?聞こえないことは私ひとりの責任になるのですか?
あーあ、失敗してしまったな…。私にとって挑戦することは価値あることだ。だから一生懸命熱意をアピールするけれど、恐らく採用する側にとっては迷惑でしかなかった。全然見当違いなアピールをしていたわけだ。
「聞こえない人が聞こえる人の中で働くことで、なんのメリットがあるのか」
私が自分に自信を持てないのは、自分の存在がどんなメリットを生み出しているのか、わからないからだ。
今回の面接で初めて気づいたのではない。前からずっと自問し続けてきたはずだ。学生時代から、もしかしたら中学高校時代から、ずっと。いまだに答えを出せないでいる。
「あなたにはこんな素晴らしい能力がありますよ」とお告げをくれるおみくじがあれば喜んで引くのになあ。
口のうまい人間だったなら、相手に納得させるための言葉を見つけられたかもしれない。でも私は自信を持って就職したいので、なんとしても答えを見つけようと思う。