「強さ」にはいろんな種類があることと思う。
行きたい道を生きていく強さも、そのひとつ。
突然髪の毛を掴まれたら、どうしたらいい?
パニックになる前にまず何をすべきか、反撃するのにどこを狙ったらいいかを知っていたら、身を守れる可能性は上がる。
最後の日、髪の毛を掴まれた時の護身テクニックを習った。
後ろから髪を掴まれた場合、引っ張られた方向に振り向きざま肘打ち、ストレート、股間蹴り。相手の手が緩んだら逃げる。
髪を引っ張られたら相手が顔面を狙ってパンチしてくることも考えられるので、腕でガードをしながら肘打ちする。顔面パンチでなければ、膝蹴りしてくる可能性もある。その場合は、腕で膝蹴りをガードし、すぐに反撃して逃げる。
肘打ち、もう一方の手でストレート、最後に股間蹴り、のパターンはとても効率のいいやり方だと思う。回転しながら流れるように攻撃する。
効率よく、滑らかに自然とできる動き。手っ取り早く最大限のダメージを与える方法。
他の武術との違いはよくわからないけど、こういうところにクラヴマガらしさがあるのかなと思う。
前髪を掴まれるパターンもある。
髪を掴んでいる相手の手の上から両手で覆うように固定する。このとき肘は閉じておく。相手が顔面に攻撃してきた時にガードするためだ。相手の手の甲と手首を固定した状態で、顎を引いておじきをするように頭を下に下げる。そうすると手首が極まる。床まで引き摺り下ろしたら顔面を蹴って逃げる。
手首を極める感覚がすぐにはつかめなかった。何度も繰り返し練習して、この角度に曲げると手首が極まる、というのがわかってくる。実際に髪の毛を掴まれて殴られる!ってなったらできるのかな、私。
いや、できるかどうかではなく、やるかやらないかだ。
最初はただ、自分を守れる強さが欲しくてクラヴマガを始めた。
私は怖がりで臆病だった。自分の身に危害を加えようとする存在に対して漠然とした恐れを持っていたし、物理的な危険だけではなくて、この世界を生き抜いていけるだけの心の強さが欲しいと思った。
振り返ってみると、昔と比べて今はもうあまり怖さを感じていない気がする。
それは、安心しているのとは違う。夜道を歩く時、電車に乗る時、常に警戒心は働かせる。誰かと向かい合う時は距離感や急所をそれとなく意識する。
いざとなったらそう簡単にやられてたまるか、と思う。別に喧嘩を望んではいないけれど、やる時はやるつもり。
練習していていつも思うのは、私には人を傷つける力がある、ということだ。少ない力で想像以上に威力を出せる体の動かし方や力の伝え方がある。こういう体の使い方を学ぶのがめちゃくちゃ面白くて、大人になってから新たに生まれ直したような経験だった。
パンチひとつとっても、肩の動き、腰の回転、体重移動といったコツがある。相手を傷つけてしまわないよう正確に、ミットの真ん中を狙って打ち込む。当たったら素早く引く。そうすると格段に威力が増す。
3年間で多少は力がついたかもしれないけれど、そこまで私は強くなったわけではない。上には上がいるとわかり、自分の弱さを知るようになる。
ある時、ミットなしで腿を蹴る練習をした。太腿に効かすポイントがある。男性インストラクターさんの鍛え抜かれた腿を蹴らせてもらったら、硬っっった……!
蹴っている私の足の方が痛かった。素手でやり合ったら、攻撃する側も痛いに違いない。
やっぱり私は痛いのは嫌なのだ。自分が傷つくのも、人が傷つくのも。
痛いのは相変わらず嫌だが、もう以前のようにただ怖がっているだけの自分ではない。
どうしてだろう?その心境の変化は?
クラヴマガの練習を通して、何かとても大切なことを教えてもらった気がする。自分の命はこうも必死になって守らなくてはいけない、価値あるものなんだな、ということを。
体が覚えこんだと言った方がいいかもしれない。首締めや、(練習用の偽物だけど)ナイフや銃を突きつけられる状況を繰り返し経験するうちに、考えずとも自然と体が動くようになる。
首を絞めてこようとする相手の前で、「私、運動が苦手だから無理です」という言い訳は通用しない。生きるか死ぬかという状況で、苦手もへちまもない。ただ、自分の力の限りを尽くして何とか生き延びることだけだ。
どんなに怖くても、苦手でも下手でも、無様に負けるかもしれなくても、私はできるだけのことをするだろう。そういう自信というか、覚悟のようなものがいつの間にかできていた。
自分一人だったら絶対ここまで成長できなかった。
誤解のないように言っておくと、めちゃくちゃスパルタな先生がいるわけではない。むしろその逆でみんな優しい人ばかりだ。上手くできなくても楽しいし、上手くできるようになると尚更楽しい。体を動かしていると自然と笑顔になれる場所、それがクラヴマガだった。
お互いに笑い合いながら振り下ろされたナイフを受ける練習をしていたのは、本当に幸せな経験だった。平和な世の中に生きていることに、そして、受け止める相手がいてくれたことに感謝する。
この先ずっと続けていたら、どこまでたどり着けただろう。
まだまだ学ぶことはあったのに中途半端でやめてしまうのは心残りもある。けれども、私はもう畑を選んでしまった。お金がなければマガを続けていくのは難しい。
未来のことはわからない。いつかお金持ちになったら、またこの場所に戻ってきて一から学び直すのも悪くはないなと思う。
ただひとつ確かなのは、マガをやっていなければ今の私はいないということだ。
行きたい道を生きていきたい。与えられた道を唯々諾々と歩くのではなく、心から行きたい方向へ、行けるところまで。
自分のことは自分で守るから大丈夫だ。もし自分の弱さに失望することがあっても、そこからまた修行していける。So that I can walk in peace.