公園を突っ切った後、川と田んぼに挟まれた静かな道。通い慣れた道は、目をつぶってだって走っていけそう。
中学生の頃から10年間乗り続けて来た自転車は、もはや一心同体。カゴなんか穴があいててぼろぼろなんだけど、ペダルは滑らか。思いのままに乗せて行ってくれる。
自転車に乗りながら、私の心はいつも別の場所へとさまよい出す。
そこはクラスノヤルスクのСвободный проспект だったり、エニセイ川沿いの通りだったりする。
もしくは、ポーランドやバルト三国のどこか、溶け出した茶色の雪が道の端によけられている石畳の道。
あるいは名前も知らないもみじの道。
かつて私がその道を歩いていたときのことが、鮮明に心の中によみがえってくる。ずっと遠くのあの街といま私がいるこの道が、つながっているということが、とてもとても不思議に思えてくる。
私が辿った道は、ひとつの線でつながっているんだ。
懐かしい過去の思い出は私の心をぎゅっとつかんで引き留めようとする。でも、私の体は同時にひとつの場所にしか存在できない。
あの時あの場所に私は確かに存在した。変わることのない事実だ。たとえどこにも足跡が残っていなくても。どんなに時間が経ってしまっても。
いま、私は自転車の上。
これからどこへ行こうとしているんだろう。
この自転車が新品だった頃、通い慣れた道を離れてずっと遠くまで飛び出していくなんて、全く思いもしなかったね。狭い世界の中で息を潜めるようにして生きていた。世界の全ての存在に対して遠慮しているみたいに。
あの猫背の中学生も、私だ。たぶん今でも私の一部。
もう二度と戻ることのない過去。
数え切れない程くりかえした全ての「さよなら」は、今の自分へと送り出してくれた。
生きるとは、前へ進むことだ。
思い出や暑さも寒さもすべて、はるか後ろに置き去りにして。未来へと。
川沿いの道を走りながら、スピードを上げる。
このまま風になってしまえたらいいのに。どこまでも飛んで行けたら。
風になられたら困ります。
その自転車びっくりするぐらいに乗りにくかったなあ。はちまきにしか乗りこなせないよあんなの
ずっとこの自転車だから、ななこに言われるまで乗り心地悪かったなんて知らなかった笑