すたば店員もすなる日記といふものを、こんびに店員もしてみむとて、するなり。
はちまきのバイトはコンビニだ。スタバみたいにおしゃれではない。けれども、ある目標を持って4年間勤めてきた。
それは、
スタバの店員さんみたいになること!
どこにでもあるコンビニの、どこにでもいるような店員。
そんなのになってたまるか!自分らしさを持ちながら働きたいなって思ったんだ。
スタバにはめちゃめちゃ憧れるのだけれど、敷居が高いと思えたのか、結局応募することはなかった。めらめらとスタバに(勝手な)ライバル心を燃やしながら、4年間コンビニひとすじ。
コンビニバイトをけっこう楽しんでいた。
ななこのダーリンを読むまでは。
やっぱりスタバで働きたかったなぁ。ラテとか作ってみたかった…。
悔しいので、コンビニ日記を書いてみようと思う。
コンビニのレジでお客さんに向き合うのは、奇跡みたいな瞬間だ。
駅や道を歩いていても、すれ違うばかりで決して出会うことのない相手と私。会計を済ませるまでのほんの1、2分にも満たない間だけ、お互いに存在を認め合っている。
レジは丁寧に素早く、でも話しかけるときは、的確な瞬間に、余裕を持った声の速さで。
相手のタイミングを見極めて、自分のリズムを合わせていく。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「温めはどうされますか?」
「袋はご入用ですか?」
計算し尽くした順序、タイミングで声をかける。それを今では自然にできるようになった。
例えば、お客さんがお金を出すのに集中していたらちょっと待つ。うっかりタイミングをまちがえようものな、曖昧な返事しか返ってこないから聞き返さないといけない。
待つ間に袋に商品をつめる。
声も大切。
声には力がある。だから私はそれを使う。
明るい声を出せば、相手にそれが伝わるのがわかる。直接言われるわけじゃないよ。表情とか視線とか注意して見てると「伝わった」と思うんだ。
私がお客さんを見つめていることが、
お客さんに伝わって、
そのことがまたお客さんの表情や視線から、
私に返ってくるんだ。
なんて不思議なやりとり!
そして、自分からはっきり話すことで、お客さんも聞こえる声で言ってくれる。
でも実際は声で話したら声が返ってくるわけで、私はそれを聞かなければならない。間違っていないか確かめる。その繰り返しだ。
マスクしている人はやっぱり苦手。
私は確かめる。耳で聞いて、目で見て、神経をピンと張り詰めさせながら。
同時に「聞こえない」ということもアピールする。名札の上の黄色の手書きのカードがお客さんの目を捉える。「大きい声ではっきり話してください」
世の中は怖い人ばかりではない。私が聞こえないことに気づいたら、わかるように言おうとしてくれる。
あるお客さんはタバコの番号を指で示し、別のお客さんはレジ横のフードを手で指差す。
聞くことに必死でいた間、聞こえないことは「障害」だと思っていた。
でも、聞こえないことはお互いを見つめ合わせる。
もしも聞こえていたら、私はレジ袋に商品を詰めながら、声だけでしゃべっていたかもしれない。お客さんを全く見ることもなく。
コンビニは速さが命だから。お客さんを待たせてはいけない。土日、目が回るような忙しさのコンビニで神経をすり減らしちゃうこともあるよ。
そういう時はスタバに行くと初心を取り戻す。店員さんが目を見て話してくれるから、すっごく安心するんだ。
時間を大切にするってこういうことかと思い出す。それってつまり、自分らしさやその人らしさを好きになることなんだ。
いつの日か、聞こえづらい店員に世の中が慣れたら、私は本当に自分らしくレジに立つことができると思う。「聞こえない」ということも大切にしながら。
聞こえないことはお互いを見つめ合わせる
良い言葉だなあ。
スタバ日記にコンビニ日記。いいねえ、共通点や相違点も比較できたら面白そう