好きでもない、嫌いでもない

小学校の頃、音楽鑑賞が苦手だった。授業でベートーベンとかシューベルトの音楽を聴いて鑑賞分を書かされるやつ。
何を書いたらいいのかわからなかった。『魔王』や『荒城の月』が吹き抜けていく。空っぽの私の頭の中。真っ白な鑑賞プリント。

中学校に上がって、私はある音楽の先生に出会う。

変わった先生だった。

修学旅行に行った時、山に入って頂上からの景色を眺めながらお弁当を食べた。
修学旅行の間、私は全くのひとりだった。唯一の親友は修学旅行をボイコットしてしまっていた。

隣に、音楽の先生が座った。私も先生も特に何もしゃべらなかった。山の上からの景色を眺めながら、お弁当を食べたと思う。それがどこの山で、どんな景色だったのかは忘れてしまった。
でも、不思議に思ったのを覚えている。先生が私の隣に座ったのが、不思議だった。それまで先生というのは、みんなの中心にいるものだったから。自分なんか注目に値する価値なんかないと思い込んでいたからね。

授業の中で、先生は言った。
「音楽を聴いてイメージしたことを書いたらいいよ。なんでも思ったことを書いてね」

何かイメージしてみようと頑張った。

鹿が走っていくみたい、飛び跳ねていくみたい。

言葉にしてみると、しっくりしない気がした。けれど、あながち的外れでもなかったのだと思う。
言葉で表現することを通して、私は音楽を認識できるようになった。

あとで鑑賞文は返却された。良かったところは赤で下線が引いてある。
こういうのでも、いいんだ。ちょっぴり自信を持った。

聞こえる音楽を言葉で言い表す前までは、音楽は形を持たなかった。私は音楽がわからなかった。
音楽の先生のことも、よくわからなかった。今思い出してもやっぱり不思議だ。

もしかしたら、何もなかったかのように思われた気持ちだって、形を持つことができたかもしれない。もしも、山の上でお弁当を食べながら先生と何も話さずにいたあの時間、先生に何か話せていたのなら。

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