遠くを見つめる


「食べる?」
お店で買ってきたまだほんのり温かいおまんじゅうを、うん、と言って受け取るものの、彼はスマホに夢中だ。それは今に始まったことではなく、お昼にたこ焼きのお店に並んでいた頃から、彼の頭の中を占めているのはAmazonのショッピングなのだった。
別に今やらなくてもいいんじゃないの。
言いかけて思いとどまる。たぶん疲れているのだろう、と察する。何もしないで待つことはこの人を疲れさせてしまうのかもしれない。スマホを見ていたほうが心が落ち着くならそれでもいいさ。

私は黙って海を眺めた。
波の打ち寄せる音。空を飛び交うとんびの影。
10分後には船に乗って島を出ることになっている。もう少しだけ。
そうして、旅が終わってしまう淋しさを感じていたかった。

昨日あれほど青く澄み渡っていたのとは打って変わって、曇り空の下では海の色が違って見える。波立つ緑がかった色の水面に銀色の影が小さく跳ねるのが見えた。
「あ、魚」
私のつぶやきに隣に座る人がスマホから顔を上げた。その時にはもう魚は見えなくなっている。
「くしゅん」
とくしゃみをしたのは私ではない。吹き付ける風はまだ本格的に寒くはないけれど、肌の表面から体温を奪っていく。風邪ひかないでね、と言う私に彼はそっけなく頷くと再びスマホに目を戻す。私もまた海面に魚の姿を探す。
また魚が跳ねた。
もしかしたら昼間釣ってリリースしたあの1匹かもしれないなあ。私は、一度釣り上げられて海に戻った魚のことを思い浮かべた。

時計を見るともうそろそろ船に乗る頃合だった。
不意に、首の後ろをギュッとつかまれる。
決して冷たくはなく、むしろ温かな手。くすぐったさに私は身をすくませた。
「鳥肌、立ってる」
私が腕を突き出すと、彼は声を立てて笑った。
お互いに手の届かない向こうへ泳ぎだしていたように思えた心が、一瞬で引き戻される。

私たちは遠くを見つめたがる。
海はずっと遠くまで広がっているし、スマホの画面は距離を越えてメッセージを届ける。いつでも時間を気にしてしまい、心からのんびりするのは難しい。
せめて隣にいるときは、こうして笑い合うことができたらと思う。子どものころ遊んでいた時のようにね。私たちは同じ時間、同じ幸せの中にいる。

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