寒くない?

6時半、夜がまだ明けきらない頃、
ひやっとする空気の中を私は走り始める。手も足も、風に吹かれるほっぺたも、空気を吸う鼻の奥まで体じゅうあちこちが寒がっているのに、私はあまり寒くないと言う。本当に寒くないのだ。

走り始めはうまく呼吸ができない。冷たい空気をいっぱいに吸い込んで咳き込んでしまう。足がだんだん走るリズムに乗ってきた頃、息の仕方を思い出す。そしてなぜかぽろぽろ涙がこぼれてくる。悲しくもないし苦しくもない。もしかしたらそれは鼻水の代わりかもしれない。涙の通り道のどこかがつまっているのかもしれない。冬の日に走ると勝手に涙が出てくるんだよね。
涙の雫は私の頬を転がり落ちていく。かまうものか。それが風で乾いていこうと、アスファルトの道に落ちて吸収されようと、どうでもいいことだ。その時にはもう私の足は数歩先の地面を蹴っている。泣いているのではない。なぜなら私は少しも悲しくないから。寒いわけでもない。こんな薄着だって寒くないよ、本当に。

ここのところ私は寒さに鈍感だ。咳が出たり涙が出たりしなければ、寒いことはまるで問題にならないのだ。しもやけもあかぎれもない。手がかじかむことはあっても、しばらくそでに隠していれば直る。
「寒いね」と人から言われて、ああ寒いのか、と気がついた。1人でいる時は暖房をつける必要を感じない。

いったいどうしちゃったんだ。前はあんなに寒がりだったのに。毎朝走るうちに寒さに耐性がついた?シベリアの極寒を経験してしまったから?それとも、今年の冬が温かいせい?
本当はとても寒いんじゃないの?
私の手は常に冷たい。お店の入り口で体温チェックカメラを見ると自分の体温が低いことがわかる。たいていは35度台、高い時でも36度1分まで。
手足の感覚がないまま、私は走り続ける。
いまシベリアの極寒に放り込まれたら、何も気づかず凍死してしまうと思う。冷たさも痛さも、何も感じないまま。

修行僧みたいに早起きして、朝の冷たい空気の中を走って、きっと私は温まりたいのだろう。公園を一周した後、私は歩きに切り替えて森の中へ続く石段を登る。その頃には木々の向こうで空がオレンジ色に染まりはじめる。山火事みたい。でも森はいたって静かで平和そのもの。寝息を立てる木々を起こさないようになるべくゆっくり歩く。とくとくと私の心臓がなる。冷えた手足に血が巡る。手袋の下で、靴の中で、朝焼けのサーモンピンクみたいな温かさがじんわり広がる。耳だけはいつまでも冷たいままだ。

どれだけ距離を走っても私はまだ秋の中で足踏みしてる。もうクリスマスは過ぎ、まもなく新年が来る。それでもまだ冬が来たような気がしないんだよね。湯気の立つ紅茶を飲んでも、スパイスの効いたカレーを食べても、肩までお湯につかっても、どれも私の手をすっかり温めるには足りない。
今からでも間に合うよ。クリスマスケーキを食べたら。お正月にお雑煮を作って食べたらどうだい。そしたらそのうち春がやってきて、私はこの冬を越しているだろう。今はただ寒さも悲しみも忘れてしまっているけれど、いつかは本当に温かい気持ちになれるから。

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