物語は、今から1000年後の未来に生きる主人公・早季が、さらに1000年後の未来に宛てて残した手記という形をとっている。このような災禍があったことを人類が忘れてしまわないようにと。
私には、この物語が現代を生きる私たちへの警鐘に思えてならない。歴史はただ繰り返すだけではなく、ある方向性をもって進んでいくのではないか。このまま戦争や争いの歴史を積み重ねていけば、引き返すこともままならないくらい悲惨な未来が待っている。そんな不安を覚えた。
*ネタバレ注意
世界観、悪鬼と業魔
物語は早季の子供時代から始まる。日本の人口は今と比べ物にならないほど少ない。人々は集落を作って暮らしている。友達と学校に通う様子は現代と似通っているが、思春期を迎えると呪力が目覚める。呪力を使ってガラスのひび割れを継ぎ合わせたり、水路に浮かべた船を進ませたり、空中に鏡を出現させたりできる。それだけなら便利なものだが、呪力は恐ろしい武器になりうる。
誰でも視界に入った人間の頭を爆発させてしまうことが可能になったら、安心して外を出歩くこともできない。実際、早季たちが生まれる数百年前には戦争があったとされる。文字通り核兵器が人間の数だけ歩き回っているような世の中だった。
それでもやがて平和といえる時代が訪れた。悲惨な歴史を繰り返さないため、幾重にも安全装置が編み出された。それは情操教育であったり情報統制であったりしたが、「愧死機構」というシステムもそのひとつで、同じ人間として認識している相手を殺害すると自動的に呪力が発動し自分の命を奪うというシステムが遺伝子操作で組み込まれた。
稀に愧死機構が発動しない遺伝子を持つ人間が生まれると、「悪鬼」という恐ろしい存在になる。悪鬼は殺戮の限りを尽くすが、人々は悪鬼を攻撃できない。相手を人間として認識しているから、攻撃すれば愧死機構が発動し自分の命を失うことになる。
悪鬼と同様に恐れられているのが「業魔」だ。もとは普通の人間だったのが、呪力が暴走してしまい、誰も近づけない危険な存在になってしまう。業魔の周囲では木々がねじくれ、生き物は異常な姿になる。
血塗られた歴史から脱却しようとありとあらゆる手段を行使した結果、かえって「業魔」や「悪鬼」といった致命的な破綻を生んでしまったといったところか。
倫理委員会
集落には「倫理委員会」という機関があり、悪鬼や業魔が現れないようにと、注意深く見張っている。少しでも悪鬼や業魔になりそうな傾向が見られると、対象を排除する。子供だった早季は同級生の何人かが姿を消したこと、自分にはどうやら姉がいたようだがいなかったものとされていること、から大人たちから統制を受けていることに気づく。
子供の存在を消してしまう。そんな恐ろしいことが公の機関で行われていた。直接手を下すことは不可能なので「不浄猫」を使う。危険分子と判断した子供に巨大な猫をけしかけ、音もなく殺してしまうのだ。そして大人たちは記憶も操作してしまう。確かにいたはずのクラスメイトのことを曖昧にしか思い出せなくなる。
そこまでするのか?と思った。子供の人権を踏みにじる行いだと、現代なら非難轟々だろう。今正しいとされていることが、時代を経たら正しいとは言えなくなるのが世の常だ。1000年後の倫理観は今より進んでいるなんて確証はないが、それでも人間として生まれたからには生きる権利があるはずだ。
でも危険分子を排除しなくては、集落が守れない。ジレンマに陥る。
異様な生き物たち
遺伝子操作が行われているという事実を不気味に感じた。人間が意図的に生み出した生き物もあれば、意図せず突然変異が起きて生まれた生き物もあるようだ。恐らく呪力が関わっている。
集落の周りには「八丁標」という境界線が引かれている。その境界付近で突然変異で生まれた生き物が多く見つかっている。漏れ出した呪力が生き物たちの姿を変えてしまうのだろうか。
早季の幼なじみの覚はよくほら話をしていた。「そんなことあるわけない」と早季はいつも取り合わずにいたが、以前覚が話した「風船犬」が現実に早季たちの目の前に現れる。犬の姿をしているが、風船のように膨らんで自爆する。骨は鋭利な刃のついたプロペラのような形をしていて爆発の勢いで飛ぶと敵を殺傷する。
呪力を使う際にはイメージが大切になる。話していた本人の覚は、風船犬を目にした時、「本当にいるなんて」と驚きを見せていた。彼はただ友達を感心させたくてほら話をしていただけかもしれないが、もしかしたら無意識のうちに呪力が働いて想像を現実に変えていたのかもしれない。それ以外にも覚はいくつかほら話をしている。どこまでが想像でどこまでが現実なのか、その境界は不明だ。
後からわかったことだが、風船犬はバケネズミが生み出したミュータントだった。バケネズミは、人間が使役するためハダカデバネズミを品種改良した種で、大きさは人間の子供くらい。生態はハダカデバネズミそのものであり、地中に穴を掘ってコロニーを作る。人間並みの知性を持っており、普請などの作業に従事する。戦闘の目的に合わせて、鎧のような鱗を持っていたり、カメレオンのような目や耳を持っていたりする個体もいる。自爆する風船犬のような「武器」としての用途で生まれてきたとしか思えない個体も出現した。
・・・・・・異様すぎる。HUNTER×HUNTERのキメラアントを思い出す。
バケネズミ
初めて登場したシーンからずっと、人間がバケネズミを奴隷扱いしているのが私は気になって仕方がなかった。バケネズミは日本語とは異なる言語を話しているが、将官クラスの知性の高いとされるバケネズミは日本語を覚えて話すことができる。呪力を持つ人間のことを恐れ、「神様」と呼ぶのだ。カタコトならまだしも、どこで覚えてくるのか、めちゃくちゃへりくだった話し方をする。ハリーポッターの屋敷しもべ妖精に似ている。
スクィーラというバケネズミが人類に反旗を翻し、反乱を起こす。早季にとっては敵となるわけだが、私の心にはスクィーラの肩を持ちたい気持ちもあった。バケネズミはあまりに酷い扱いを受けてきた。奴隷的身分から解放されて欲しい。そのためにはどうしても、人間とバケネズミの争いは避けられなかったのだろうか。
囲碁の本から戦略を学んだスクィーラは、めちゃくちゃ頭がきれる知将だった。彼の立てた戦略は多くの味方に損傷を出すものだったが、着実に人間に打撃を与えていく。勝利のためには犠牲も厭わない戦い方をする。
自己犠牲
物語終盤、スクィーラ側についた悪鬼と戦う場面がある。奇狼丸と呼ばれるバケネズミを味方につけ、早季、幼なじみの覚が協力し、知恵を絞って悪鬼を倒そうとする。人間である早季と覚は悪鬼を直接殺すことはできない。悪鬼の前に姿を晒せば殺される。
そんな中で、相手は悪鬼ではなく、バケネズミに育てられた普通の人間の子供という可能性に気がつく。もし悪鬼なら一緒にいるスクィーラや手下のバケネズミたちも見境なく殺してしまっているのではないか?しかしあの少年はバケネズミには攻撃しない。自分をバケネズミだと思っているから、バケネズミに対して愧死機構が働くため攻撃できないのだ。
そう仮定した早季はある作戦を立てた。
どうしてそんなことできるの?って思う。ここまで一緒に旅をして、助け合って危機を乗り越えてきた仲間じゃないのか。同じ人間の覚の命が危ない時は助けるのに、バケネズミの奇狼丸を犠牲にすることは厭わないのか。
作戦のために死ねと言わた奇狼丸は、コロニーの女王の命を助けることを条件に笑ってそれを呑んだ。戦略のためには個々のバケネズミの命など取るに足らないものだと言わんばかりに。
これは戦争だ、と思った。国のために命を捧げる兵と、コロニーのために戦うバケネズミは何が違うだろう。
そういえば、早季の集落で言い伝えられていた、悪鬼と薬草取りの少年の話も自己犠牲の物語だった。ひとりの人間の命など集落の存続に比べれば重要ではない。その思想はコロニーを守るために戦うバケネズミとよく似ている。
バケネズミジェノサイド
バケネズミが日本語を学習して話せるように、人間がバケネズミの言葉を学習することも可能なはずだ。悪鬼、もといバケネズミに育てられた少年はバケネズミの言葉を話していた。言葉が通じるなら、殺戮をやめるよう説得することはできなかったのだろうか。
スクィーラは流暢に日本語を操れるが、「バケネズミ」という単語を発音するときだけなぜか口ごもった。スクィーラは自分たちの種族のことをどのように呼んでいたのだろう。バケネズミが醜い姿にされた呪力を持たない人間だと彼は知っていた。
呪力でバケネズミを倒していくシーンが何度もあって、首を折ったり、爆発させたり、まったく目を覆いたくなるような惨状だ。バケネズミ同士の戦いもあるが、恐ろしいのは呪力でバケネズミを殺す人間の描写だ。一度殺し始めると止まらなくなるような。
人間って、なんて残酷で悲しい生き物なのだろう。ファンタジーなのに人間の残虐非道さが妙にリアルに感じられた。戦争や紛争を遠い世界の出来事だと思っていてはいけない。実際に世界のあちこちでジェノサイドは起きている。
最後に感想
世界観がとにかく凄まじくて説明が多くなってしまった。『新世界より』を読んで考えさせられたのは、生き物の進化の不思議だ。
生き物は進化する。長い時間をかけて特定の能力を身につけたり、あるいは不必要な能力を退化させていく。争いばかりしていればそれに特化するよう進化していくのは明白だろう。そしてそれは周りの生態系にも影響を及ぼしていく。
人としてどういう生き物でありたいか。どのような生き物を目指していきたいか。進化の過程は大いなる川の流れのようなもので、個々の人間の意思など無関係に自然は動いていくものかもしれないが、それでも「より良い種」を目指していきたいというのは全ての人類・全ての生き物に共通する願いではないか?生きとし生けるものはそのために命を繋いでいる。そうじゃない?
人間はどうしようもなく残虐な生き物だ。救いは、今も進化の過程にいるということだ。戦争をやめ、平和な時代を築くことができたら、何千年、何万年後には穏やかな気質を身につけ、より良い種に生まれ変わることができるかもしれない。
