卒論。
1年前の今ごろ、先輩たちが卒論に追われていた。
学科は違うけれどとても仲よかったんだ。
英語の先生を目指していて、その英語のクラスで一緒の先輩。
普段からお昼休みにお弁当を持ち寄ってよく集まっていた。
先輩たちは時々端末室で集まって、一緒に卒論を書いていた。
私はその横で、別の授業の課題をやっていたっけ。卒論がなかった時代が懐かしいね。
卒論のことを「キャサリン」と呼んでいた。
ソツロンよりもキャサリンの方がかわいいからって。
おもしろい先輩たちだったな。
LINEグループは「バンジージャンプ」。どうしてそんな名前に?
と聞いたら、以前、バンジージャンプに行く計画があったそう。
みんな元気にしているかな。先生として、社会人としてがんばってるのかな。
私のキャサリンは、
まあまあ順調だ。あとは結論を書けばいい。
それが一番難しいのだけれど。
自分一人の戦いだって思うと、とても孤独だ。
でもひとりじゃない。
ゼミの先生には面談するたびに励まされた。
特に大したことは言われないのに、会うだけで不思議とモチベーションになる。
先生や友達や、いろんな人から言われた「楽しみにしている」が、私を支えている。
完成したらぜひ読んでもらいたいなって思えるようになった。
今日は
リュックに文献を詰め込んでうちへ帰る。
卒論と過ごす年末年始も悪くないよ。こういうのも一生のうち今だけじゃない?
(追記)
キャサリンは、フランケンシュタインだ。
いや、正確にいうのなら怪物だというべきだろう(フランケンシュタイン博士は人間で、彼によって怪物は作られたのだ)。
キャサリンだろうとキャシーだろうとカーチャだろうと、どんな可愛い名前をつけたって、やつが怪物であることに変わりはない。色々な引用寄せ集めの怪物。
キャサリンはでかくなりすぎた。
1万字を超えたあたりからだんだん私の手に負えなくなってきたんだ。
今ようやく1万6千字余り。これからさらに2万字まで成長しなければならない。
でもただ字数を稼げば良いというものではなくて、キャサリンを自立させる必要がある。バランスの悪いあちこちを削ってはつけ直し、継ぎ目を滑らかに閉じていく。その繰り返しだ。
細部に気を取られているといつのまにか全体像を見失っていて、気づいたら余計な腕や足をくっつけている。もしくは変なところから腕が突き出ていたりする。
そのたびに私はうん百字をそぎ落とし別の箇所へと移動させ、くっつけてみたはいいもののやっぱり不要であったことに気づくんだ。
もう私の手には余るよ、本当に。
途中で投げ出したくなる。こんな不恰好な怪物。
今日はキャサリンを、スッキリきれいに形を整えてやった。文字数はほとんど変えないまま、腕と足は大移動した。
あ、こんな形だったのかきみは。この生き物をいまようやく理解できてきた気がする。
キャサリンの本当の姿を知っているのは、私だけなんだ。
そう気づいた瞬間、覚悟が決まった。
キャサリンは怪物で、手に余るどうしようもないデカブツだけど、投げ出してはいけない。
あとは頭をつけるだけ。体に似合うちょうどいい形にきっと結論を作ってみせるよ。
キャサリンが無事完成する日が待ち遠しい。
そうか。卒論書くのって闘いなんだ。そうか。
私にとっては、
自分との闘いです!