あけましておめでとうございます。
今年もよろしくダーリン。
ダーリンの文章は、横顔みたいだ。
コメントは残していないけど、みんなの文章がとても好きです。なんていうか、横顔がかっこよすぎてかける言葉が見つからないんだ。
視線は何処か遠く、私の手の届かないところを見つめているのに、自分に語りかけられているような気がする。
瞳に写りこんだ景色を文章を通してそっと見せてもらっているみたい。
わかる?
横顔って不思議だ。
誰かに見られているけど、自分では決して見ることができないもの。
写真を撮ってもらったら見れるかもしれないな。でもそれはカメラの角度でしか捉えられない。
文章でも同じだ。自分の言葉では書くことができるけれど、自分の言葉って案外見えない。
例えば最初、よしださんに言われた「エドワード・ゴーリーの主人公」。あんまりぴんとこなかった。
ななこには「聖母を白とするなら、はちまきは透明だ」って。
そんな風に読まれてるのかなって思うとちょっと嬉しい。
12月ダーリンを書き始めたばかりの頃はまだそれぞれの文章をつかめていなかった。
けれど今はこれはあの人の言葉だと、読んでみるとわかる。
食べなきゃいけないのに何が食べたいのかわからない。そんな日にくぼきさんの文章を読むとほっとする。
ななことよしださんは視点が鋭いなぁって思う。ぼんやりした日常をきりさくナイフ。
わおんの文章はかわいい。うめしゅ拭いているの手伝いたくなっちゃう。
ダーリンに来るとじんぐうじさんの文章を必ず読みに行く。クリスマスイヴの日の投稿は5回くらい読み直したかも。
もえさんとあやべさんは自然体な感じが好き。力を入れず、ありのままなのに強さを感じる。
まだまだ少ししか知らないけれど、その人らしさがすてきだと思う。
もっと読みたくなってしまう。
でもなんて言ったらいいかわからなくて、いつもコメントを躊躇する。
よしださんみたいに、「エドワード・ゴーリーの主人公」みたいなぴったりくる言葉を探してみるけど見つからないんだ。
言葉に言い表せない感動ってあるよね。
たぶん、私の文章もちょっとずつ変わってきているんじゃないかな。読むもの見るものあれこれに影響されながら、人間は生きているのだから。
少しずつはちまきらしくなっていく。
1年後、私はどんな文章を書くのだろう。
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新年のブログらしく今年の目標でも書いて締めくくろうと思う。
ちまきを食べたい。
この前のクリスマスの日、友達がちまきの写真を送ってきた。
皿の上に三角にたたまれた竹の皮。
なんで竹の皮に包むんだろう。おいしいのかな。
実は私はちまきを食べたことがない。食べてみたいなと思いながら、ずっとチャンスがないまま。
今年はきっとちまきを食べてみる。
一皮むけた自分になろう。
はい、質問です。じんぐうじの文章はどんなところがいいですか?
あと、コメントしてくれたら嬉しいです。
うーん。なんでだろう
コメントしてみます!
すき!!!この文章すき!はちまきらしい!
奥さん、横顔ですって。あら素敵。
横顔の比喩はとても面白い。
こんな無機質なディスプレイ上から個性を感じるのが面白い。