ジルベスターのニューイヤーコンサート、超笑いました。
このコンサート、年が変わる24時00秒に曲が終わるようにっていう指揮者の裁量ありきの演奏会です。
ラストの凱旋行進曲、序盤から、いや巻きすぎやろコーラスついてけてないよー!!!とドキドキしてみていましたが、バッティストーニやらかしやがった。23時59分40秒辺りでもう最後のフェルマータの音に差し掛かっちゃってるの。
すごい pic.twitter.com/nfishNG6pX
— トキワ (@na7tokiko927) December 31, 2018
完全に指揮者の顔芸だけで乗り切っている。金管を殺す気か。黒木瞳も何が「大成功でしたね!」だ。金管の人ら息絶えてるで。
私はといえばアホ程笑いすぎて特に感慨もなく2019年を迎えてしまった。金管の人たちも年越した感ないだろうなあほんと。いや、金管だけじゃなくて後ろにいたコーラスの人たちもハラハラしすぎておめでとうの気持ちになれなかったかもね。
気づいたら2019年も5分経っていました。やばい何もしてねえと謎の焦りを感じ、ラインで一番上にいた人に「あけおめ~」と言ってみたら、うるせえといわれました。あ、別に明けたからって形式的にあけおめとか言わなくてももいいのか、とちょっと冷静になった。
ツイッターでも、ジルベスターで検索してみたら、2018年23時59分40秒の辺りに縛り付けられてしまった人がわんさかいる、笑うわほんと。バッティストーニは指揮者としてのプライドと皆を年越しさせなきゃの一心でがんばったんだろうけど、逆にみんなどきどきして置いてけぼりになっちゃってるよ。
世の中のあわただしさの具現化って感じを見たなあ…。
ジルベスターの奏者、指揮者、聴衆、視聴者がどうやってここから2019年の気持ちにもっていくかは知らないけれど(無理やり?笑)、私の場合は、まだしばらくは23時59分40秒辺りにいようかなって思う。ダーリンではマイペース年越しが許されるらしいですよ、うれしい。
あけましておめでとうございますとか、べつに言いたいときに言えばいいもんね。
どうせ来週になったら、もう病棟で死ぬほどつらい実習をしているんです。今度の病棟は小児科だよ。また、心に寄り添うケアってなんやねんというテーマをウンウン言いながら考えます。冬休みの間くらいは全然2018年でいいよね。
だけど一生懸命生きているうちに、今年もどんどん過ぎていくのだろうなあ。春くらいにはきっともう少し成長して、夜から朝になる時の空みたいにすこしづつ、今年が2019年であることとか、平成が終わることとか、そんなことも受け入れられるかも。
今日が昨日の続きであることにちょっと思いをはせつつ、今日は私はお餅を食べます!お酒も飲むよ!じゃあおやすみ。