服の色

「ああいう、マネキンのを一揃い買っていったら、恥ずかしいですかね?」

西嶋は堂々と店員さんに質問する。そんな質問をする方が普通は恥ずかしいんじゃないのっていうのに。『砂漠』で、合コン用の服を買い求めに行くシーンが、私は好きだ。
西嶋だったら、どんな服を選んでも無頓着にしているのが、それが似合っていそうだ。

服なんてよくわからない。適当に組み合わせてこんなものかと満足する。もしくは、うちを出てから帰って服を着替えるまで、落ち着かない気持ちで一日を過ごす。私だってマネキンの服を一揃い買いたいくらいだ。失敗しないために。

でも、実際はそんなことしない。マネキンの服を買い上げるのが恥ずかしいからではなく、誰かの作り上げたファッションそのままではつまらないから。
マネキンの服を買い込むよりも、きまぐれな判断に任せてみるのがおもしろそう。選んだ服が思いもかけない自分らしさを演出してくれるかも。

最近茶色やら黄色やら緑やら、いろんな色を着ていることに気づいた。はっきりした色を見るとついつい惹かれてしまうんだ。そしていつのまにか、持っている服の色に統一感がなくなっていることに気づく。
もうちょっと落ち着いた服を着たらどう?これから緑に統一してみようか。
でもきっと違う色を見つけて着てみたくなるんだろうな…。

この間、いちご柄の靴下をはく先生の話を聞いて笑ってしまったけど、人ごとではない。だってほら、ビビッドカラーを身にまといたいという自分の欲望の存在を否定できずにいる。
いや私は、職場ではきちんとした服を心がけるつもりでいるけれど。

なんとなく選んでしまう服。そこに自分らしさを見いだせるんじゃないかな。

子どもの頃の服を時々思い出す。服なんてどうでもいいような年頃なのに、妙にこだわりがあったんだよね。
赤いギンガムチェックの半袖とか、アメリカっぽい苺の顔がプリントされたオレンジのTシャツとか、全然好きじゃなかった。ついでに赤いランドセルも。クラスに一人だけ緑のランドセルの男の子がいたけど、見るたびに羨ましい気持ちになった。女の子っぽい服が苦手で、男の子のズボンをはいてた私。
今思えば服なんてなんでもいいじゃん、という気がする。神社の境内を駆け回ったり、上級生にいたずらして怒られたり、そういうのが楽しかったあの頃。

はっきりした色を着たいと思うようになったのはいつからだろうか。自分の優柔不断さに嫌気がさした時だったと思う。中学高校の頃の私は、自分の意見が持てなくて「なんでもいいよ」と答えていた。本当になんでもいい。
小さい頃は好き嫌いがちゃんとあったはずなのに。言われるままに行動しているうちに自分好きなものや嫌いなもの、本当にやりたいことを見失ってしまっていた。
今は「自分のない自分」から抜け出せたように思う。思い切って鮮やかな黄色や赤や緑を選ぶと、明確な自分らしさを持てるような気がした。選択を重ねるたびに少しずつ作り出されていく基準。好きなもの、嫌いなものの感覚を取り戻していく。ちょっとずつ。

冬服より夏服の方が好き。重い布地より軽いものの方がいい。ヒールのある靴はかっこいいけど歩きづらい。スニーカーが一番気楽でいい。気が向いた時に走り出せるような格好で外を歩いていたいんだ。

“服の色” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。