釣りがしたい。

今日、ゆりかもめに乗って、東京のビル群をぼんやりと眺めていた。なにも理由がないが「釣りがしたい」と僕は思った。そう思うと、僕は「釣りがしたい」と呟いていた。

自分を忙しくすれば忙しくするほど、休みではなく、ぼーっとする時間が欲しくなる。ただなにも考えずにぼんやりと過ごす時間だ。はたからみるとぼんやりとしていることに生産性を見込むことはできないのだけれど、僕にとってアイデアを生む時間として非常に重要なのだ。ぼんやりしない人の行動は生産性は高いかもしれないが、消費的な生産をしているにすぎない。ダンスダンスダンスの言葉を借りると「雪かき」のような作業だ。「別にだれにだってできるのだけれど、誰かがやらないといけない作業」雪かき的な仕事をする人を否定しようとは思わないけれど、楽しいのかなあ雪かき?と感じてしまう。

というわけで、僕は釣りがしたい。隣に座っていた女は「私はアジを釣りたい」と言った。僕は「そうか」と答えた。魚を手に入れたいわけではない。海をぼんやりと眺めていたいし、海面の下に潜む魚や植物に想いをはせていたい。その時間は僕の中にストックされた具体的な事象を、どろどろに溶かしてくれて、複雑に結びつけてくれる。釣りをしたことはないが、僕は釣りをするべきなのだろうと直感的にわかる。自分が竿を海にほおってじっと海面を見つめている姿を想像することができる。素敵な時間だなあ。

今日も読んでくれてありがとう。釣りがしたい。釣りしたくない?だれか釣りのしかた教えてくれ。

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