ジーナについて書こう。
クラスノヤルスクで留学していた間、中国人のクラスメイトと一緒に勉強していた。ジーナはその1人。同じ寮の隣の部屋に住んでいた。
よく一緒にごはんを食べに行ったり、寮でお互いに作った料理を持ち寄ったりしていた。
в складчину(フ スクラードチヌ)「割り勘で」
という言葉を留学し始めてまもない頃にロシア人の誰かに教えてもらった。しかし結局、最後まで私はそれを覚えられなかったんだよね。割り勘の必要があるときはなにか別の言葉で言い換えた。
例えば中国人の友達とごはんを食べに行って割り勘しようと言いたいとき、こんな風に英語とロシア語を混ぜて使った。
Давай split the bill. (=Let’s split the bill.)
ジーナと私はお互いにカタコトのロシア語で話していた。私は中国語を知らないし、ジーナも日本語を知らなかったから。通じない時は英語やgoogle翻訳を使うこともした。
ジーナのロシア語はすごくかわいかったんだけど、どこがどうかわいいのか説明せよと言われたら、もうあまり思い出せなくなっていることに気づいた。
あまりにも当たり前すぎた存在はおぼろげにしか思い出せない、そんなことってない?今振り返ってみて思った。ジーナの存在は私の日常の一部だったのだと。
ジーナはいつもロシア語の格変化を間違えていた。真面目に勉強しない子だったわけじゃないよ。私と違っていつも授業の予習をしっかりしてきた(宿題がなんだったかときどき忘れてしまう私は、しょっちゅうジーナかルームメイトのСに聞かないといけなかった)。
ともあれロシア語の間違いは私も同じだったと思う。あれっ?と思いながらも、不思議と通じてしまう。そんなカタコトの会話がおもしろかったんだ。
今でもはっきり思い出せるのは、トマトたまごと黒のリュック。
ジーナは私に中国の料理を教えてくれた。
トマトたまご。それは、トマトを切ってたまごと炒めるだけ。味付けは塩。めちゃめちゃ簡単に作れる上に、おいしい。
日本に帰ってから私はトマトたまごを時々つくる。どのみちフライパンで炒めてしまえば形なんてあってないようなものだから、トマトの切り方はなんでもいい。でも私は、ジーナが切っていたやり方を真似したくなる。
まずトマトのへたを下に向けてまな板に置く。タテヨコ斜めに包丁を入れて6等分にする。それからへたを取る。あとは6分の1に切り分けられたトマトを小さく切っていくだけ。
そういや、オレンジの切り方も独特だったな。最初に皮をぐるっとむいてしまう切り方。
ジーナがやっていたオレンジやトマトの切り方は今まで私が見たことのないもので、初めて見た時の衝撃を今でも忘れられずにいる。
ジーナはいつも黒のリュックを使っていた。
黒地に翼の模様が白くプリントされたなんの変哲もないリュックは、いつも中身がほとんど入っていないように見えた。ところがジーナはその中からとても入りきらない量の教科書やハンドアウトのたぐいを引っ張り出す。ジーナのリュックは四次元ポケットなのではないかと密かに私は疑っていた。
日本に帰ってから大学の帰り道、ほとんど中身が入っていないような黒いリュックを背負った長い黒髪の女の子を見かけると、私はその後ろ姿から目が離せなくなる。
もしかして、ジーナ!?!?
ちがった。よく見たら違う。リュックは黒だけどそこには翼がない。
今ジーナは中国にいて大学生活を送っているのか、もしかしたらもう大学を卒業して働きはじめているのかもしれない。日本にいるわけがないのだけれど、ひょっとしたら、今日の帰り道にでもばったり会ってしまいそうな気がするんだ。