初対面の時の印象は確かに大事。けれども、本当の人の良さというものは付き合いを深めていくうちに気づくこともあるのだと思う。
ロシアにいた時の12月だったか1月だったか、近々日本センターに新しい日本人の先生が来ると聞いた。これから日本センターで日本語の授業を受け持つらしい。驚いたのは年が近かったこと。
どんな人だろう?良き遊び相手となるだろうか?クラスノヤルスクでは日本人との出会いが貴重であっただけに、私の期待は否応なく高まった。
初めて会ったのは日本センターの催すロシア語クラブ(ロシア語を勉強したいの日本人=私と友人Сと、日本人と交流したいロシア人が集まってあれこれおしゃべりする場)。
ロシア人の女の子たちの反応は見物だった。彼女たちが動揺を隠せないほどに、新しい日本語の先生はкрасавчик (クラサフチク)、すなわちイケメンだったのだ。実際、日本センターではひどく場違いに見えた。テレビで歌とか踊りとかやってた方がよっぽど似合ってそう。
つかみどころのない人物。それが私が彼に対して持った最初の印象である。マイペースでかつ社交的で、なんだか日本人らしくなかった。
それは付き合いが長くなるにつれて顕著になっていった。
私とСとЯさんはよく連れ立って遊びに行ったものだった。そこに日本語クラブのロシア人の面々や劇場で働いている日本人のバレリーナが加わることもあった。
Яさんの誘いはいつも突然だった。「明日空いてる?」「今日の夜ごはん行くけどどう?」みたいなのには、ロシア人とのやりとりですっかり慣れていたため、Яさんから同様に持ちかけられたところで今更気にもならなかったけど。
かくして私たちは、山や市場やスケート場へと足を運んだ。時にはЯさんの家でご馳走になったり、中華料理や韓国料理を食べに行ったりすることも。
Яさんは約束の時間に必ず遅れて来る。なんで遅れたのかと問うと家で料理の仕込みをしていたのだという。
それでもЯさんからにこにこしながら手作りのキムチを差し出されると、Сはすっかり毒気を抜かれてしまうのだった。待つ間、さんざん文句を言っていたというのに。
久しぶりに口にするキムチがめちゃめちゃ美味だったというのは、もちろん否定しようがなかった。
白状すると、私はЯさんに対して冷ややかな態度を取ってしまった。待たされるのが嫌だったわけではないよ。
ただその、やきもちだったんだと思う。Сを取られちゃったような気がしてさ。
СとЯさんはケンタッキー通でよく食べに行ったていた。2人で半分こにするとちょうどいいんだって。
「はちまきちゃんは?」
「行かない!ケンタッキー好きじゃないんだ」
3人で出かける時は決まって、СとЯさんが2人して盛り上がっていて、私はひとり蚊帳の外。普段Сは私にわかるように話してくれるけれど、おしゃべりに夢中になると私が聞こえていないことに気がつかない。それは仕方ないことだと思う。
「私、この後ろうクラブに行くんだった。2人で先に帰ってね!」
そう言い残しては別行動することを選んだ。
悔しいことに、スケートも料理もЯさんの方が上手だった。なぜか私は勝手にライバル心を燃やしていた。
ある日のこと、Яさんからバレリーナさんたちと一緒にごはんに行こうと誘われた。Яさんはクラスノヤルスクに住み始めて間もないというのにもうすでにあちこちで顔が売れていた。
大人数でごはんに行くのが私はあまり好きではない。話が聞こえないから。みんなといる中で孤独を味わうことになるのなら、最初から参加しない方がいい。
と思っていたけど、結局行くことに。いいさ!韓国料理食べたかったし、バレリーナさんと間近で会うチャンスなんてそうそうないよね。そう自分を奮い立たせて会食の席に臨んだ。
「あの子たちもね、こんな風に他の同世代の人と交流する機会が必要なんだよ」
その日の帰り、夜道を歩きながらЯさんがふとこぼした。
バレリーナさんたちのことを言っているのだと気がついた。ステージではまるで神がかったように優美に舞う彼らも、私と変わりない普通の若者たちだった。肉も食べるの?と聞けば、「食べなきゃやってられないよ」と返事が返ってきたのは意外だった。
彼らは今バレエのためにロシアに来ているけれど、いろんな同世代と関わる経験がなくてはならない。それを思ってЯさんは今日のごはんに誘ったのだ。
彼のことを、ただマイペースに周りを巻き込んでいるだけのように思ってしまっていたけど、実は周りへの思いやりにあふれた行動であったのだと知った。
Яさん、すごいなぁ。
誰かをずっと嫌いでいることは難しい。一つでも尊敬できるところを見つけたら、初対面の微妙な印象なんて覆される。
スケートが上手いのも料理が上手いのも時間に遅れて来ることも全て、Яさんらしくてすてきだと思うよ。