君たちはどう生きるか

わらわらたちが空に上っていくシーンを見て、ぞわぞわした。

この日を心待ちにしていた。『君たちはどう生きるか』をやっと見ることができたのだけど、見終わって「結局これは、どういう話だったんだろう」と考え込んでいる。
子どもの頃に見た『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』、『となりのトトロ』もそういえばよくわからなかった。迷いなく大好きな作品と推せるのに、どういうストーリーなのかと言われてもうまく説明できない。映画の批評が上手な人はいて、「自然と人の共存をテーマにした作品」とかそういう解説を聞いたらきっと納得してしまうのだろうけど、答えを出すことなくいつまでも不思議がっていたいような気もする。
実際、意味などわからなくても、景色や登場人物の振る舞いを眺めているだけで十分楽しめる。光の加減や水の感じ、風や空の色に何ともいえない美しさがある。まるで生きている人間のような、温度のある目の光にドキドキさせられる。
『君たちはどう生きるか』も他のジブリ作品に負けず劣らず素敵だった。アオサギがスーッと池に降り立って魚を丸呑みするシーンが気に入ってしまった。あんな細い喉でよく丸呑みできるなと感心してしまう。
初めて見るのに、懐かしいような見覚えあるような感じがするのは、前作と似ている場面があるからかもしれない。

こういう主人公もありなんだなと思った。「影のある少年」にスポットライトを当てたらこう表現されるんだ、という面白さがあった。
眞人は、あまり主人公らしくない。中盤あたりで問題を起こしそうな脇役だったなら、もっとしっくりくるかもしれない。
でもそうではなく、物語は彼の行動を追い続け、彼の決断を見届ける。
どうして眞人は迷いなく決断してしまえたのだろうかと、不思議だ。あちらの世界がなんとか成り立つよう、積み木を積む役目を大叔父から受け継ぐことを、彼は断った。自分には悪意があるから、その石には触れませんと言って。
元の世界に戻ってもどのみち戦争は続く。お互いに傷つけ合う、苦しみに満ちた世界だ。それでも眞人は、元の世界に戻ることを選んで大叔父の後を継ぐことをきっぱり断った。
そして世界は崩壊してしまう。

理不尽なことが起こるのは世の定めなのかもしれない。
傷つき血を流しながら死んだペリカンがいた。下の世界では食べ物が不足しているようだった。飢えたペリカンたちはわらわらを食べる。なぜかはわからないけどわらわらを食べるために連れてこられた…。
これが世界の歪みかと思う。
大叔父は彼なりにベストを尽くしたはずだ。あんなに疲れた顔をして積み木の塔を守り続けた。恐らく誰がどんなに頑張っても100%完璧なんてことはあり得なくて、綻びは必ず生まれるのではないか。人間なんだから。
「あなたなんか大嫌い!」と言われたら、すごく傷つくけど、それを言う側にもきっと理由があって、どうしようもなかったのだと思う。眞人が石で自分の頭を傷つけたのも、苦しくてどうしようもなかったからじゃないか?何の悩みもなく幸せに生きていたらそんなことしないでしょう。
善意が人を傷つけることもある。息子のためを思って眞人のお父さんは真っ直ぐ行動する。でも結局、余計なお世話にしかならない。
つまり、嘘をついて偽ることも、本音を隠すことも、生きていくためには必要だということだ。アオサギの生きる知恵。

もし眞人が悪意をもたず積み木を積んでいたなら、結末は違ったのだろうか。
悪意のない世界が実現したなら、この世から苦しみはなくなり、人は人を傷つけなくなるのか。

まんじゅうのような姿をしたわらわらたちには、悪意がない。あんな顔して悪意をもっていたとしたら驚きだ。
私もこの世に生まれる前は数いるわらわらのひとつだったのかな。あの頃に戻りたいな、なんて思って、少し悲しかった。
一体どこで私は悪意を身につけてしまったのか。死者は殺生できないが、生きている者はお互いに傷つけ合い、命を奪う。人として生まれて、光に触れて影を伸ばして、そうやって生きていくんだよなと思う。
悪意に染まらず生きることができないから悲しいのか、それとも、悪意に染まっても生きていていいんだよというメッセージに泣けてくるのか、うまく説明できないが、絶望と同時に救いを感じた。

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