昨日のバイトは夕勤だった。特にこれといったトラブルはなく3時間と45分はつつがなく過ぎていった。
新しく入った夜勤の女の子に挨拶した。それから、上の人に「3月末までで辞めます」と伝えた。
さて帰ろう。すると、それまで一緒に夕勤に入っていたパートの人がなにかまくし立てている。普段の穏やかさとは打って変わった激しい調子に、びっくりして私はユニフォームを脱ぐ手が止まった。
バックルームの奥のどこか一点に視線を置き、彼女は上の人に向かってなにやら訴えている。決して感情的だったわけではない。いつもと違っていたのはその声の調子かもしれない。何とかしてくれなきゃダメだ、という切実な響きがあった。「言い方がきついんですよ……」
耳を傾けるうちに私にもわかってきた。どうやら人間関係に不満があるようだ。
パートさんの声は私のみならず新人さんにも筒抜けだった。バックルームの入口で静かに話が終るのを待っている。しかしパートさんの訴えは少しも途切れる気配がない。私はちょっと失礼して脇をすり抜け、ロッカーに向かった。その位置からは彼女の表情がよく見えた。
「たぶんストレスが溜まっているんだと思いますよ」と、私は言ってみた。
上の人が私に尋ねた。「あなたと一緒の時はそういうことある?」
私は首を横に振る。パートさんが問題にしている社員さんは私が見る限り、しっかりして頼りになる人だ。前にアイスやお菓子をおごってくれた。きつい言葉を浴びせられたことなんて一度もない。
しかしストレスが溜まると問題を起こしてしまうのらしい。ダンボールをどっすんどっすん落としたり、フードを大量に作ったりしている時は要注意だ。別の人が前に言っていた。「話をしてくれない」「特定の人に冷たい」
パートさんの話を聞くまで、そこまで深刻とは露ほど思っていなかった。
「修復できない人間関係」、と上の人は言い表した。
パートさんの訴えは聞き届けられた。上の人はできる限りの対処を考えてくれた。それはつまり、私が件の社員さんの代わりにシフトに入り、仲の良くない2人をなるべく遠ざけるという方法で。
土日のどちらかなら構わないですよ、と私は請け合った。頼まれたら断れない。大変だけどできないことではない。それに、3月までだ。私がいなくなった後、このお店はどうなってしまうのだろう。そればかりが気がかりだ。
「責任重大だからね、頼んだよ」上の人は私にそう念押ししていった。
私が代わりに入ってしまって社員さんは構わないのか、と尋ねたら、この人の勤務は私が管理しているので心配はいらないという返事だった。それならもっとストレスのないシフトにしてくれたらいいのに。そう思わないでもなかったが、とても私の口からは言えなかった。私が用事のために休みを入れると、社員さんは昼間勤務に入ることになり、それが彼にとって負担なのだと聞かされたばかりだったから。
「全然大丈夫!」と社員さんは首を振ってみせる。お休みしてしまってすみません、と私が謝るといつも、彼は笑って答えるのだ。その裏でどんなにこの人を傷つけてしまったのかと思うと、私はとてもやるせない気持ちだ。
風が吹けば桶屋が儲かる。この狭いお店の人間関係は一枚のつながった板の上に成り立っている。それはとても微妙なバランスで保たれているため、私が休めばパートさんが被害に遭うのだ。そこまで余裕のないギリギリの境地に人を追い込む労働環境を私は恐ろしいと思う。
私が極力休まないようにして、時々パートさんと一緒のシフトに入ったとしても根本的な解決ではない。それも3月が終わればできなくなってしまう。
救いようのない泥沼で店員一人ひとりが助けを求めてあがいているのが、私の目には見えるようだ。人が次々入れ替わるのはコンビニの宿命だと言われる。泥沼に溺れてしまわないうちに抜け出さなければならないからだ。
しかしずっとそこで働き続ける社員さんや上の人はどうしたらいい?
バイトを辞めていく私は、みんなを見捨てていくような気分になる。
その日学んだことを、私は伝えていかなければという思いに駆られた。教育はきっと狂った歯車を修復し、未来へ向かって進む原動力を生み出すはずだ。
そして私は、もっと注意深く物事を捉えるようにならなければならない。お店で起こっているいじめに全く気づきもしなかった。パートさんの口から奔流のように溢れ出す言葉を聞く前の4時間弱、ずっと一緒にいたのにも関わらず私は少しも耳を傾けなかった。パートさんと社員さんの2人に勤務を交代する時も、彼らがどんな思いでいるのかなんて少しも注意を払わなかった。「おつかれさまです」と、さっさとお店を後にした。そしてたとえ私に対し苦しんでいると訴えられても、なんの足しにもならない慰めしか口にできなかっただろう。「きっとその人もストレスが溜まっているんですよ」、と。
迅速で具体的な対処をできなければ、と私は思う。目の前でいじめが人を殺してしまうかもしれない。責任重大だ。