31 января

出会いと、別れの日。その朝、家を出るときケータイを忘れた。それに気づいた時から、非日常な、ちょっぴり特別な一日になるという、なにか予兆めいたものを感じていた気がする。

肩こりと頭痛がすると言っていたけれど、実に元気に働く人だった。おしゃべりが好きでたくさん話しかけてくれた。
それまでほとんどお話ししたことなくて初対面と言っていいほどだったのに、バイトが終わる頃にはお互いの細々とした情報を知るようになっていた。出身地から趣味や血液型や家族の将来の夢まで。
「血液型、A型でしょ。だってすごく丁寧だから」
「私の悪いところは、それですよ。真面目すぎること」私は言った。
長い付き合いになればその人だっておそらく、「真面目すぎるのよねえ」と同意してくれたかもしれない。でも、一緒にこのお店で働くのはその日が最初で最後なのだった。

12時になるとバイトを上がり、大学へ。電車に揺られながら三国志を読んだ。
こんなの読み始めて大丈夫なんだろうか。終わりのない、入り組んだ迷宮に足を踏み入れるような心地で恐々とページを開いた。あっという間に心は、1800年前を流れる黄色い川に引き込まれる。物語を読むこと、それはすなわち、物語に飲み込まれるということだ。
漢字を味わう。白蓮、紅蓮、蓮花。
‘water lily’、’はす’という言葉でも、私の頭の中には同じ色をした花の姿が描かれただろう。けれどもその花の名前は、‘water lily’ でも ‘はす’ でもなく、’蓮’ だった。

遅いお昼ごはん。
普段、公園でピクニックをするのが好きだった。息がつまるような大学で食べるよりもずっと空気がいいから。でも今日は寄り道する時間がない。カフェテリアでお弁当を開いた。
するとそこへ相席者が現れた。空いている席もあったのに、その子は私の正面に座ることを選んだ。
不思議な感じの女の子だった。丸い形のエレガントな帽子の下から黒い前髪がのぞく。1年生だと、彼女は言った。名前を尋ねるとノートに漢字で書いてくれた。初めて見るような中国の名前。日本の漢字に似ているけどほんの少し違う。

最後の授業が終わった。
お世話になったテイカーさんに、心を込めて私はレモンをプレゼントした。かつて教採試験対策に一緒に参加した仲間だった。すらすら淀みなく答える彼らの姿に気後れしかなかったけど、今はそうでもない。
自然と言葉が口を突いて出た。
「When the life gives you a lemon, make lemonades! (酸っぱいレモンから美味しいレモネードを作るみたいに、困難を楽しめ!)」
その言葉を聞くとみんな、ああ、という顔になる。一緒に模擬授業を受けた時の、教科書の言葉だった。
「いま、講師の仕事を探している」と、私は話した。今日はバイト先でもカフェテリアでも、同じ話を繰り返している気がする。
4月からみんながどこに行くのか、私はついに聞かなかった。立派に先生をやっていくだろうということは、何も聞かなくてもわかる。模擬授業をお互いに見ていたから。教採試験の対策でも、教職に対する思いや信念なんかを散々聞き合ったのだから。

学生支援課のお姉さんと握手した。
「またいつでも遊びに来てね」
いつも最後の瞬間になって気がつくんだ。私は週一度顔を合わせるこの人のことを、まだ何も知らないままだった。

もし全ての出会いを一期一会と信じるなら、私は相手に心を開けるのだろうか。
「はちまきにとっての別れって、なんだと思う?」
その昔、私にそう尋ねた人の顔が思い浮かんだ。出会いと別れ。そのお話はまた今度。

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