広げる楽しみについて。10分よこの仕事

こんばんは、よしだじゅんやです。
今日は久しぶりに文章を書こうと思います。しかも、できたら連載しようと思っています。
「10分よこの仕事」についてです。僕は、毎度毎度、文章を書くぞ!と意気込むのですが、なかなか筆をとることがありませんでした。
その理由は明確です。すぐそばに仕事がいたからです。

これはね、怖いことだぞ。
飯を食べていても、お風呂に入っていても、本を読んでいても、頭から離れない。
サウナに入って、完全に振り切ってやったぞ!と喜んだのも束の間、もう仕事が頭に浮かんでくる。

僕はね、落胆しました。「仕事に生活を奪われた」と考えたのです。その後の僕の奮闘というのは、面白いけれど時間がかかるから、また今度にします。
紆余曲折があり、僕はちょっとだけ考えを改めました。
そうだ、仕事も生活の一部なんだな。
仕事がうまく行けば、生活もよくなるし、生活が悪くなれば、仕事もうまく行かない。まるで、メンヘラのカップルみたいに、お互いに依存しあっているのだ。と。

なので、僕は仕事を通した「生活」について書いてみます。できたら毎日。多分疲れた日には無理だから、週に3.4回くらいかな。書いてみようと思う。
僕は生活について書くためにダーリンを作ったし、僕は生活について書くのが好きだ。
もし、仕事が生活の一部なのだとしたら、きっと僕は素直に文章が書けるはずだ。だって得意分野だもの。

なるべく、ビジネスビジネスした言葉使いはしないように心がけます。
それよりも、仕事をする上で浮かぶ、僕自身の感情の機微をすくい取って楽しみながら鑑賞したいなと思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

広げる、というのが大事だと痛感しました。
大事、というと、何だか成功や失敗に大きく影響をもたらす大変な指標な気がするけれど、全然違います。
「広げる」には「楽しみ」が含まれていることが、とってもとっても重要です。
僕は、机上で新しいビジネスの検討をしています。最初はめちゃくちゃ楽しい気持ちになっていました。
メンヘラを救うための施設を作るもよし、絶対に整えるサウナを考案するのもよし。もう、自由なんですよね。
その裏には、僕自身の意思もあります。自分がやりたいことがあり、それを実現する可能性もある。こんな楽しいことはないんだよね。

それが、ここ1週間くらい、楽しくなくなってきた。むしろ、夜も眠れないくらい追い込まれてきた。
おいおいおい、まてまて、もう楽しくなくなるなんておかしい。もっと楽しめるはずだ。だって、妄想している時が一番楽しいんだもん。楽しみが薄れていくのは、アイデアが決まり、具体的に手足を動かし始めて、いろいろな面倒ごとが起こり始めてからだ。

おいおい、妄想が、苦しいぜ。そんなのありか?

なんだか、損している気がするでしょう。ムチもあっていいけれど、やっぱりアメが欲しいじゃない。
だから、僕は「楽しい妄想の仕方があり、何かを間違えているんだ」と疑い始めました。

で、今日気づいたんだけれど、妄想は盲目になると楽しみを失います。
僕はね、かなり一つのアイデアに固執してしまっていたんだよね。そこには僕自身の意思はなくて、過去にうまくいっていたからうまくいくに違いない、実証されたデータが物を言っているじゃないか。と過信しているの。
地元思考が強過ぎる老人や、右翼に傾倒し過ぎた政治家などがそうだね。何だか窮屈そうでしょう。
彼らは、自分の思考の外に、無限に近い有限があるのを忘れてしまったり、あるいは自分の思い込みで排他しているんだよね。(そういう人に限って人を非難したりするよね)

僕も、まさしくそのパターンでした。最悪だ。
虫眼鏡を使って細かいところを調べるのも大事なことです。けれど、その一方で、虫眼鏡を外した時に、うんと広い世界があることをしっかり理解していないと行けないね。可能性は広いとこにあるんです。
明日はうんと広げて考えてみようと決めたのでした。サウナも悪くないよねえ。

今日も読んでくれてありがとう。楽しさっていろいろあるけれど、僕のばあい、誰が喜ぶかもわからない細かいものを知るのも、ちょっと楽しみがあるんです。これが、諸悪の根元で、楽しい繋がりで、細くしちゃう、で気付いたら広い楽しみを忘れてしまうんだよ。困るよね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。