この間きみは、「誰も自分のことをわかってくれない」と言っていたね。
どんなに言葉を尽くして説明しても、あなたのことを完全に理解してくれる人などいるはずがないよ。人それぞれ違う気持ち・考え方を持っている。あなたはあなただから。誰にもわからないあなただけの心を持っている。そうじゃない?
それでも、誰かに自分のことをわかってほしい。孤独を感じている。
その気持ちはわかるような気がする。数年前の自分がまさにそうだったから。
今だって、「人から理解されている」と感じることの方が少ないかもしれない。時々、夕方の空の下を、家に向かっている時なんかさ、何かさみしさに似た気持ちが過ぎることがあるよ。ずっとこの信号が青に変わらなければいいのに、って。
あるいは、言いたいことがあるのにそれが何かわからなくてうまく言えない時とかね。何を言っても「それじゃない」と感じるだけなら、むしろ黙っていたい。
私のことを見つけて欲しい。わかって欲しい。そんな気持ちが、満たされないまま今も心のどこかにある。
数年前と違って今は、ひとりでも大丈夫だと思えるようになった。私には文章がある。絵を描くこともできる。それらは、人に見せるためのものではないんだ。はっきり見えない「自分」の存在を確かめるために、絵を描き文章に綴る。
これは1年前に、私が描いた絵だ。その時、すごく悲しかったんだよね。失恋して。別れなければいけないと頭では理解していても、でも納得できない気持ち。「どうしようもないなあ」ってなぜか笑えてくる。本当は泣きたかったのに。絵に描くうちに、泣きたい自分を発見した。そんな感じ。
ひょっとしたら、絵も文章も「キレイに取り繕った自分」なのかもしれないね。それでもかまわない。他の誰が見て理解できなくても、私にとっては意味がある。そんな風にしか表現できない自分が、そこに確かに存在する。
人から理解されたいと求める気持ちはたぶん、「自分」を繋ぎ留めるためだったのではないかと思う。「あなたはこういう人なんですね」というのを、誰かにわかっていて欲しいと願っていた。そうでなければ自分でいられないような気がした。
前より自分のことがわかるようになったのかと言えば、そうでもない。文章を書くたびに、一枚絵が出来上がるごとに、「これって本当に私がかいたのだろうか」と受け入れられるようになるまで何度か見返してしまう。絵や文章は「自分」という存在に一種の輪郭を与えてくれるかもしれない。でもその中身は誰にもわからないのだと思う。自分にも、他の誰にも。それでも確かに存在してる。
本当は形なんてないんだ。どんな風にだってなれる。だけど実際、その時その場で選ぶことができるのはただひとつきりで、そうやって選んだものひとつひとつが今の自分を形作る。
だからもう、ひとりで大丈夫だと確信を得た。自分のことがよくわからなくてもいい。私には真っ白な紙の上に絵を描く力がある。何もないところに書き始めることができる。
孤独を乗り越えるにはどうしたらいいのか。アドバイスになるかどうかはわからないけど、絵を描いてみるのはどう?絵でなくてもいい。音楽でも写真でも料理でも、表現の方法はいくらでもある。あるいは誰にも見つからないような部分にも、「自分らしさ」というのは表れ出るのかもしれない。例えばたくさん眠って、夢を見るとかね。
これが自分だ!と思えるものに出会うまで、なんでも練習したらいいと思うよ。まだ見つかっていないのなら、むしろわくわくするべきことだ。
Enjoy this moment!