2年目の記録

これでいいのかなと思いながら生きています。

社会人になってやっと1年経ちました。1年前は何もわからなくて、不安でいっぱいでした。右も左もわからないってこういうことを言うんですね。真っ暗な部屋の中で手探りするのにも似た感覚でした。頭をぶつけたり、何かにつまずいたりしながら進んでいく。
いまだ、暗中模索。経験の足りない私にできるのは、少しでも上手くなれるよう努力し続けることです。わからなくても、怖くても、下手でも、やってみるしかない。失敗したらそこから学ぶことができる。

なぜこんなにも自信がないのだろう?

期待と評価。
目に見える形、見えない形、いろんな形で存在します。悪いものではないし、人の成長に良い影響を与えることだってあります。それらは社会人になる以前から、学校で生徒として過ごしていた時からありました。例えば、テストや通知表や、称賛・叱責の言葉とかですね。むしろ生徒だった時の方がまだわかりやすかった気がします。
「社会に出たら当たり前のこと」は、社会人になったらもう教えてもらえないみたいです。言うまでもないことだから。大人になったら何もかも自分で気をつけて行動しなければいけません。マイナス評価に値する行動を、自分では気づかずに見過ごしてしまっていたら?と思うと、針のむしろに座らされたような心地です。
つまり、とても緊張しています。

「そういうものだよ」と言われてしまうかもしれません。細心の注意を払い、気を遣いながらみんな働いている。それが当たり前なんだよ、と。
間違えないように生きていくことに、そこまで神経とがらせなくてもいいのに、と思わずにはいられません。どんな間違いにも意味はあると思います。下手でも、不器用でも、一度で覚えられなくても、できなくても。下手さ加減というのは、真似してできるものではありません。わざわざ失敗しようとして失敗しているのではないですから。
間違いにだって価値があるのではないでしょうか。

人に言われて動くのではなくて、自分で気づいて動けるようにならなければいけない。それはわかっているつもりです。
ただ、自分1人ではなかなか気づけないこともあります。「当たり前」という一言で片付けられてしまうことの多くは、見えづらいものです。

だから、どうしたら良くなるか、気づいたことがあったら教えて欲しいなと思います。

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1年前の自分を振り返ると、2年目の今は結構慣れた気がする。自信のなさは相変わらずだけどね。これでいいのかなあ。
わからないなりに頑張ってる。うまくいくこともあるし、失敗することもある。そういった経験が、私を前へと進ませてくれる。きっと前よりもうまくやれている。

「仕事はどうだ」
何ヶ月か前に実家の父に聞かれた時、私は答えた。幸せに働いているよ。
父は何故か眉根を寄せた。
「なんだそれ」
なんだそれ、ってこっちのセリフだ。幸せに働いてはいけないの?
確かに楽ではない。上り坂を自転車で漕いで行くみたいな感覚。苦しいけど、ここで止まりたくない。今のつらさはいつかこの先、自分の力に変わるだろうと知っている。
今はなんでも一生懸命やっていれば、それで十分幸せな気がする。責任もそこまでない。今はまだ。

幸せに働いているよ。
そう言っていられるのも残りわずかかもしれない。4月から新しい職場に変わったら、今までとは全く環境が変わってしまう。手話がなくなる。聞こえないことが当たり前に受け入れられる場所ではなくなってしまう。そしたら私は、どれだけ頑張って聞いてもわからないという虚しさに負けてしまうかもしれない。どんなに必死でペダルを漕いでも前に進めない自転車だったら、ずっと頑張り続けることなどできない。
・・・・・・負けたくなんてないよ、もちろん。

今の職場について「幸せ」だと言ったのは、努力がきちんと成果につながるからだ。聞こえない自分としてできることを仕事にしているから。
新しい職場でもきっと、大丈夫!また別の幸せを見つけたらいいのさ。
ほらね、1年前よりも自分に自信を持てるようになってきた。そんな風に前向きな気持ちになれたのは、今一緒に働いている人たちのおかげだ。

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