風呂で髪を洗いながら、なんだかもう無性に腹が立ってしまった。指に絡みつく髪の毛をみんな引っこ抜いてしまいたいのをぐっと我慢する。お湯でざぶざぶ洗い流す。そっと目を開けると、足に心当たりのない引っ掻き傷があることに気づいた。心当たりがないと言っても、今日はずいぶん乱暴に動きまわっていたから傷の一つや二つついていてもしょうがなかったと思う。
今日私は、スキーに行く計画を立てた。
英語の勉強をした。Epiphany を覚えた。公現日。1月6日、キリストの栄光が公に現れたことをお祝いする。
買い物も済ませた。明日明後日は食べるものに困らない。
白菜のクリームパスタは自分でいうのもあれだけど、なかなか美味しかったんじゃないの。もっとていねいに料理していたらよかった。
賞味期限の迫っていた焼き豆腐とベーコンを救い出すことができた。
散歩にも行った。今日は池の周囲を探検した。
掃除も洗濯もした。明日着る服が乾いてくれたからよかったじゃないか。
美容院の予約も入れた。
そうしてみれば、十分すぎるくらいだ。どのみち明日になれば新しい洗濯物が溜まるし、明後日にはまた掃除をしたくなるだろう。今日買い物した食材も2,3日後には食べ切らなくてはいけない。本当はもっとたくさん英単語を覚えたはずなのに、今思い出せるのは Epiphany だけで、それも明日になれば知らない単語に戻ってしまっているかも。
そんなこと今心配しても仕方ないことだ。
どこに腹の立つ原因があるというんだろう、ね?
「何がそんなに悲しかったんだい?」
パスタを作り過ぎてしまいました。食べ過ぎちゃった。
今日の料理、めっちゃ乱暴だったな。ごめんなさい。
それに、21時を過ぎてしまった。21時にはもう寝ると決めていたのに。
「それだけ?」
なぜ私だけやらないといけないの?洗濯も料理も掃除も?
何もしない同居人を見ているとイライラしてくる。
それだな、きっと。
「それから?」
一日中空が曇っていたせいかもしれない。明るいお日さまの下でなら、もう少しニコニコしていられたかもしれない。
あるいは日々増えつつあるコロナの感染に不安を禁じ得ないからだろうか。あおなみ線はすでに運行する本数を減少した。保育所も休園しているところがあるという。
いつかこの先、当たり前の生活ができなくなるくらいになってしまったら?電車が止まり、食糧供給が止まり、ライフラインが脅かされるようなことが実際に起こるようになったら?
「それだけじゃないよね?」
確かに。
例えばいいお天気で、コロナがなかったとしても、全て自分の計画通りにことを運んで21時に就寝できたとしても、きっと私はハッピーではいられなかった。
憂鬱な日が、時々訪れる。
たぶんそれは、一日が終わってしまうことを惜しむ気持ちなのかもしれない。
もっとできることがあったはずのに、でも何もできなかった。反対に、あまりにもやることがたくさんすぎて、疲れてしまったのだろうか。一日を何もしないでのんびり過ごしていたら、今は違う気持ちになれたのだろうか。機嫌悪くしていないで、もっと楽しそうに過ごしたらいいのに、でもどうしようもなかった。イライラしたくてイライラしているわけではないのだ。
こんな、どうしようもない曇りの日でも生きていかなければいけない。
熱すぎるお湯に身を沈めているうちに、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
たぶん少し疲れてるだけじゃない?21時を過ぎたら何もしないことにしよう。
忘れてしまった英単語はまた今度覚え直せばいい。
パスタを食べ過ぎたのも、たぶん大丈夫。朝になればそれはすっかり消化されてまたお腹が空いてくるだろうし。
今日行けなかった展望台は次回の楽しみに取っておけばいい。
今日できることはもうない。
こんな日には、とにかく早く寝ることだね。明日にはきっと曇り空も晴れて、すっかり機嫌は直ってしまうだろうから。