外は雪が降っている。こたつで温まりながらゆっくり絵を描いた。
今描いているのは、凍りついたダウガヴァ川。ラトヴィア、リガ大聖堂からの景色だ。
上から見下ろした街というのはずいぶんごちゃごちゃして見える。三角、四角、ドーム型、空に突き刺さる尖塔。さまざまな形の屋根がある。どの屋根の上にも平等に雪は降り積もるけれど、屋根の傾斜や日の当たり具合なんかで雪の積もり方は違っている。
とにかく、下書きには時間がかかった。細部にばかり気を取られていると全体のバランスを見失う。
物の輪郭がだいたい出来上がった後、色を塗り始めた。最初に、空の色。次に雲、次に川。そして屋根の上の雪。
雪の色は真っ白ではない。
まず青の色鉛筆で薄く塗る。その上から白でなぞる。雪の色が冷たいほど、照らす光は明るく暖かい。
絵というのは対比なのだ。明るい部分と暗い部分。交互に描き分けることで世界はできている。
色鉛筆を動かしながら、過ぎ去った時間のことを思った。
5年前、私たちはそこにいた。リガ。大聖堂の上に。同じ景色を見て、同じルートを旅して、同じ鍋のパスタを食べた。そして別れた。
その後は?
私と同じように5年という歳月を彼もどこかで生きているはずだ。どこかで事故や病気にかかって命を落としていなければ。凍った川に落ちたあの人は今、どこで何をしているのだろう。
降り積もる雪も、流れ去る時間も、私はそれらを止める術を知らない。でもこの街の姿には何かがある。家を建て、寒さから身を守り、末代に残る塔を築き、川の流れのそばで人々の暮らしは受け継がれていく。
絵に描いてみようと思ったのは、もう一度新しい光の中で眺めてみたかったからなのかもしれない。空と雲と川と、雪の積もった街。暖かさと冷たさ。光と影。5年前のあの日と今日。自分と他者。
描くうちに何かバランスが見つかるような気がした。
色鉛筆で塗るには、スケッチブックは大きすぎるくらいだけれど、世界は果てしなく広い。人生は長くて短い。
だから、適当なくらいでちょうどいいのかもしれない。例えば家の壁なんかはざっくり輪郭を描く。色も、持っている色鉛筆の中にある色でいい。
それでいいんだ、という不思議な落ち着き。