魚を釣った。
手のひらに乗るくらいのサイズの、赤い魚だった。背びれと胸びれがトゲトゲしていたため、手に乗せてみることはおろか、触ることさえままならなかった。
カサゴだと思う。父と釣りに行った時、よくかかった記憶がある。カサゴは、「ハズレ」。なにしろトゲだらけだから。
さあどうやって針を外したものか。
父はいつもハンカチを使っていた。洗えば綺麗になると思っていたんだろう。私はハンカチではなく、ウェットティッシュで魚の体をカバーした。これなら手にトゲが刺さる心配はない。
ところが、釣り針は魚の喉の奥にしっかり飲み込まれてしまっていて、少しくらい引っ張っただけではびくともしない。
魚はパクパク口を動かして、時々暴れた。太陽がジリジリ照りつける堤防からはものすごい熱気が出ていた。そのまま魚が丸焼きにされそうなくらいの暑さ。ウェットティッシュに血がついた。早くとってあげないと、と焦る。
釣り堀のお姉さんが見かねて手伝ってくれた。彼女が手をひねるとスルリと針は抜けた。なるほど!餌は残して針だけ抜けばよかったんだ。
「持って帰る?いらないなら海に戻すけど」
お姉さんが尋ねた。私は首を横に振った。釣れたらすぐに海に放すつもりだった。
「でも、もう死んでる」
そう言って、彼女は魚を海に放った。針を抜くのと変わりなく、素早い動作だった。赤い小さな魚の体が、青い水面に浮きあがった。一度、胸びれが動くのが見えたけれど、それ以降はお腹を上にしてずっとそのまま浮いていた。
やがて空から鳥がやってきて、死んだ魚を攫って行った。トビかミサゴか。
それを見て、なんだか救われたような気がしたんだ。いたずらに小さなカサゴの命を奪ってしまったのが、申し訳なかったから。
命を奪う覚悟もない、遊びの釣りならするんじゃなかった。
海が青い。空も青い。潮風がびゅうびゅう吹くので、声をほとんど拾えない。
ぼんやりと他人の浮きを眺めていた私を、釣り堀のお姉さんがまた呼んだ。茶色の髪は日焼けしていた。長袖を着ていたけれど、マスクと髪の隙間から覗く肌は黒かった。厳しそうなのに、それでいてとても親切なのだ。
私に大物を釣らせてくれた。
「しっかり持ってよ」と、重たい釣竿を私に手渡した。「リールを巻いて」
リールって釣り竿の右側についているんだよね。左利きの人のことを全然考えてないや。ぎりぎりと糸を手繰り寄せながらそんなことを考えた。
魚の姿が水面から透けて見えた。ピンク色にキラキラ光る体。でかい。重い。
一緒にいた友達が横から網で掬い上げた。手で持ってみるとやっぱりずっしりくる。網の中に捕まっている時でさえ、動くと揺れが手に伝わってきた。
「持って帰ります」と、今度は伝えた。
釣り堀なのだから、野生のタイではなかったかもしれない。こんなところにタイが泳いでいるものか。どこかから捕まえてきて囲いに放してあったのかも。
その辺は聞かなかったから良く知らないけど、とにかくタイはタイだ。
血抜きされ、氷と一緒に発泡スチロールの箱に詰められていた鯛の体はとんでもなく硬かった。包丁の刃が立たない。
まずうろこを取った。鱗取りがないので、ペットボトルのキャップを使った。あっちこっちにうろこがとぶ。それと同時に鯛のピンク色は次第に失われていった。
うろこが取れるとその下の皮は柔らかだった。エラから刃を差し込んで頭を取る。腹に切れ目を入れる。はらわたを取り出す。白いゼリー状のものに混じって、黒いのや黄色いのやオレンジ色の塊がたくさん出てきた。ちぎれて緑の液体を出すものもある。うえっ!
死んでいるとわかっているのに、痛そうだった。もっと手際よく捌けたらいいのに。
全ての内臓を出し終え、水で洗い流すと、ようやく三枚おろしの準備が整った。お腹からすすすと包丁を入れる。いける!
一枚、背骨と綺麗に分離された。続いて2枚目を作ろうとしたけれど、うまく刃が通っていかない。もう面倒臭くなったので骨をくっつけたまま塩焼きにした。
骨が取れた方はぶつ切りにして鍋へ。三つ葉を加えてお吸い物を作った。鯛茶漬けも挑戦してみたかったけれど、やめた。またの機会にしよう。
1時間くらいかかったと思う。手がきっと魚臭くなるだろうなと思ったのに、石鹸で洗ったら気にならなかった。新鮮だから生臭さがないんだね。
しっとり油ののったふかふかの白身。この味を忘れることはないだろう。
ありがとう。鯛。
ありがとう。島の漁師さん。
釣り糸がこんがらがっても、笑わずに手を差し伸べてくれた。私がどんなに下手な捌き方をしても、ちゃんと美味しい料理になってくれた。
初めての三枚おろしは、3枚ですらなかった。不完全で、手際悪くて、人の手を借りなければどうしようもない。自分の弱さを乗り越えることでしか、人は強くなれないんだなあ。