仕事納めの日に書く

働くことについて。

小麦の奴隷。すごい名前だ。
パン屋の前を通り過ぎた時、ふっと子どもの頃の記憶が頭を掠めた。妹が好きだったのは、カリッと焼き上がったベーコンエピ。今も変わっていないみたいだ。
「そういえば、小さい頃、習字を習っていたんだっけ?お寺の近くで」
「ううん、書き方教室だった。保育園ぐらいの時だったかな」
妹は懐かしそうな顔をした。
「途中でやめちゃったけど、どうしてだったの?」
「あれはよく覚えているよ。夏休みで、お母さんが教室まで送ってくれたの。お母さんとは入り口のところで別れた。ドアに張り紙があって、お盆期間中はお休みです、と書いてあった。その時はまだお盆前で、教室はやってたはず。でも、その時はすごく小さかったからわからなくて、その日はお休みだと思っちゃった。めちゃくちゃ泣きながら家に帰った。それからもう教室には行かなかった」
なるほど。私は事情を何にも知らないで、妹は夏休みのお稽古を途中で放り出した意気地無しなどと思っていたのか。酷い言いようだけど、はたから見ていると、「何泣いているんだろう」と思うわけだよ。まだ小さかった妹にとっては、ひとりで(本当は開いていたけれど)お休みの教室に置いてけぼりにされたことはものすごくショックだったようだ。
「今では何でもないことなのにね」

大人になったなと思う。妹も、私も。
会えば仕事の話なんかしてる。

子どもの頃は早く働きたいと思っていたのにな。
何のためにやるのかわからない勉強よりも、仕事をしたい。生きていくために頑張りたい。
でも今は逆に、勉強したい気分だ。ただ生きるために生きていくのは味気ない。役に立たなくても、何か面白いことを見つけたい。
ビスケットみたいにフランクに、くだけた話を書いてみたい。

妹と話すと、主に私の仕事のぐちを聞いてもらうことになる。妹は聞き上手なんだろうな。ついつい自分のことばかり話しちゃうんだよ。「お姉ちゃんは人の話に興味がないんだ」と文句を言われた。そうかもしれない。
「自分の仕事に満足している人なんて、いったいどれくらいいるんだろう?」
そう思ったわけだ。周りの大人を見てると、みんな嫌々仕事をやっているみたいじゃん?
もちろん全員がそうではない。けれども、「お父さんはあまり仕事が楽しそうではない」という点では、妹と意見が一致した。「行きたくないな」と言いながら仕事に行く父親を見て育った。

一番最初に「私、働いている」と感じた経験は、コンビニのバイトだった。留学で休んでいた時もあったけど、足掛け5年。社会人歴よりもコンビニバイト歴の方がいまだに長い。
いつか店長に聞いた事がある。転職してしまった店長は、コンビニで働くことについてこう言っていた。
「楽しいこともあるし、嫌なこともあるよ」
コンビニで働く最終日、店長は長かった髪をすっきり短く切ってしまった。すると驚くほどイケメンなのだった。
店長が言うからには、それが真実なのだろうと私は思った。つまり働く上では、楽しいことも、嫌なこともどちらもあるということが。
私はコンビニのバイトが楽しくて仕方なかった。嫌なことも少しはあるけれど、働くことは喜びだった。
「楽しくて仕方ない」と思っていた時の自分が、今は眩しくて仕方ない。

大学を卒業後、学校で英語を教えた。教員として働いていた時のことを、「楽しいこともあったし、嫌なこともあった」という一言で総括してしまうことはできない。
「楽しい」や「嫌だ」という感情を振り切ってしまったような記憶。教員の仕事についてどうこう言えるほどのキャリアを積む前に、ギブアップしてしまった。
「夢を見るんだよ。学校の夢。自分が教員の時も、生徒の時も、どちらにしても苦しい悪夢」
妹に打ち明けた。すると彼女も夢を見ると言った。
「お父さんが夢に出てくるよ。何かしようとすると否定してくる」
「反抗期」というと、普通は子供が親に対して反抗するだろう。けれどもうちの場合は父が娘に対して反抗しているようなものだった。離れて暮らしていてもいまだに夢にみるくらい、苦しかったんだろうな。

今の私に語ることのできる出来事が、一つある。
聾学校で2年目の、最後の最後の英語の授業だった。2人クラスでは1人がお休みしてしまうと、1対1の個人授業のようになる。私の目の前には、英語が苦手な高校生。
教科書の最後の単元はスティーヴ・ジョブズだった。授業の進みが遅すぎて、最後の日にまで教科書を読むことになってしまった(ごめんね)。
最後の一文はこう締めくくられていた。
It’s our turn to change the world.
(世界を変えるのは、私たちの番です)
スティーヴ・ジョブズの死を受けて、「さあ、次は私たちが世界を変えていこう!」というメッセージが込められている。
読み終えた生徒はしきりに首を振る。とても自分なんかが世界を変えるわけはない、という意思表示だった。
その時私の口をついて出た言葉は、
「身の回りのことから少しずつ変えていけばいいんだよ」
例えば友達や家族や、同じ電車に乗った人や、今目の前にいる人に対して、ほんの少し優しさを分けてあげればいい。そしたら、その分世界は優しくなるはずだ。何もパソコンやスマホを発明することばかりが、世界を変えるのではない。ジョブズは死んでしまったけれど、私やきみは今この世界に生きている。きみだからできることがあるんだよ。

先生がいいこと言ったみたいな話だけど、実はそれ、ただの受け売りなのだ。
前日、卒業式があった。コロナ対策のため、在校生は参加せず、卒業生と保護者のみ参加で執り行われた。私はたまたま3年生の副担任だったからその場にいた。校長先生がお話をされた。その中に「身の回りのことを少しずつ変えていく」、そういう話があったんだ。
誰かのために掃除をすることだって、立派に世界を変えている。

自分が空っぽになったように感じた。
例えば、ちくわやふきのとうのような、中身が空洞になった筒のイメージ。私の中には何もない。ただ、「何か」が通り抜けていくだけ。
「何か」を伝えるのが、教員の仕事なのかもしれない。誰かから受け取った「何か」を、適切なタイミングで適切な相手に、次の人へと受け渡していく。そのために私は生きているのではないか?
自分の人生には何の意味があるのか。わからなかった。教員になったのは、「芯」を見つけたかったからかもしれない。自分の人生を何かしら意味でいっぱいに満たさなくてはいけないと、そう考えている節があった。
でも空っぽでも大丈夫なんだ。
教員としての私の役目は終わった、と思う。
あの子はもう忘れてしまったかもしれないけれど、それでもいい。あの時、伝えたいことはちゃんと伝えられた。
むしろ、「何か」を受け取っていたのは、私の方だったかもしれない。
実を言うと、何だか泣けてきそうだったんだ。だって、たった1人の生徒が泣きそうな顔をするんだもの。こんなことで泣くなよー。
英語の授業ではいつも自信なさそうな顔をしている子だったけど、どうか自信を持って生きていって欲しい。そう思う。いや、あの子ならきっと心配はいらない。

転職してからも、不思議なもので聾学校とはなぜか縁があった。橋渡しというか、パイプ役、そういう役回り。
同じ職場の人から、2歳のお子さんに聴覚障害があり、発話が遅れているので心配している、と相談を受けた。聾学校の教育相談や放課後デイをお勧めした。対応してくださったのが、偶然私の知っている先生だった。専門知識のある方なので安心できる。

「世界を変える」なんて言うと大それたことだけれど、少なくとも自分の手の届く範囲では変化を起こすことができる。
仕事って、本質的にはそういうものじゃない?

実際は、毎日が忙殺されていく。たくさんやることはあって、それ以外にもやりたいことはたくさんあって、与えられた24時間の中に何とか詰め込もうとするんだけど、全然足りない。
忙殺。いかにもおどろおどろしい響きだ。一日一日が消費されて、もう二度と戻ってこないような気がする。
成し遂げたことよりも、できなかったことの方が多い時、疲れてしまうのかもしれない。自分のやっていることに何の意味があるのだろうと疑問を覚えた時、続けていく気力を失くしてしまう。

奴隷みたい。そんなふうに思ったら負けだ。
私はたまたまそこにいて、誰かに与えることのできる「何か」を持っている、空っぽな人間。
忘れてはいけないのは、どんな巡り合わせにも世界を変える力があるということ。生きている人は、違いを生むのだ。

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