佐々木譲『カウントダウン』

市議会の傍聴に行ったことがある。学生最後の年に議員インターンシップに参加した時のことだ。「政治家」と呼ばれる人たちが、一体何をやってるのか知りたかった。

残念ながら、議会でのやりとりはほとんどわからなかった。手話通訳を頼んだはずだ。FAXで申し込みをした記憶がある。でも断られたんだっけ。その辺はうろ覚えだ。
音声認識アプリを開いても、拾えるのはわずかな単語のみ。「〜でございます/ございません」くらいしかわからない。同じ日本語を話しているはずなのに、議会では独特の言葉遣いをするのだなあということが印象に残った。

議題は確か、次年度予算についてだった。
名古屋城の天守閣工事についても話していた気がする。インターンシップの受け入れ議員さんが、名古屋城にエレベーターをつけたいと言っていたからたまたま覚えていた。
普段新聞を読まない学生が、付け焼き刃的な知識を持って臨んでも、議会で交わされる質疑応答はやっぱりよくわからないというのが正直なところだ。

思うようにはいかないこともあったインターンシップだけれど、それでも議員さんや、事務所の手伝いに来ている人と話すことができたのは、いい思い出として記憶に残っている。それまで私が勝手に持っていた、「政治家」の悪いイメージが払拭された。
福祉や教育について、真剣に考え、少しでも良くしようと行動している人がいる。嬉しかった。
私は自分の夢を話した。車椅子に乗った議員さんは、「障がいのある先生が学校で教えるべきだ」と、力強く背中を押してくれた。

『カウントダウン』を読んでびっくりした。財政破綻はこんなに簡単に隠蔽できてしまうのか。
北海道の架空の都市、幌岡市の議会はほぼ市長の独裁体制だった。最年少市議の主人公、森下と共産党の女性以外は、全員市長の提案に逆らわない。赤字を隠蔽した決算報告でも賛成多数で可決されてしまう。
予算の決議にあたって、情報開示がされていない。後になって幌岡市が財政再建団体になると、第三セクターの経営破綻について隠していたのは「経営責任者として、金融機関の耳に入れるわけにはいかなかった」なんて言う。他にも、そんな言い訳が通るのかとびっくりしちゃうような発言がごろごろ出てくるのだ。

実質的に市長独裁の議会で、主人公は懸命に責任追及する。
「責任者探し」というのが、私はあまり好きではない。人間の行動は自分で自己決定しているように見えて、状況や環境に左右されるものだから。もし私がその立場だったら、同じ罪を犯してしまうかもしれない。責任者探しするよりも、解決策を話し合った方がいい。そんな考えを持っている。
けれども、幌岡市長についてはそんな生ぬるいことも言ってられない。のらりくらりと責任逃れをする。

口の上手い人が得をする世界だ。
心配になった。私が住んでいる街でも同じように、不都合な真実が隠蔽されたまま議会で政策決定されていくのだろうか。ぼんやりしていたら、誰も気づかないうちに幌岡市みたいに財政破綻してしまうなんてこともあり得るかもしれない。
市が破産して、財政再建団体入りしたらどうなるのか。「最高負担の最低サービス」だって。税金をガンガン取られた挙句、貧しいサービスに我慢しなくてはならない。図書館や美術館は閉館になるだろう。公立学校は廃統合され、公共交通機関や市立病院、老人ホームも縮小される。これまで以上に住みにくい街になる。
一部の人たちが無駄遣いした分、被害を被るのは弱い立場の人だ。そんなの間違っていないか。
おかしなシステムだなと思う。

読み終わった後、幌岡市の今後が私は心配だ。
だって、市長が交代したとしても議員の多数派少数派の比率は依然として変わらない。どんな立派な構想を掲げても、新森下市長の提案に議員がことごとく反対を表明したら、結局何もできやしないじゃないか。

私自身、選挙には必ず行くようにしているけれど、自分の一票に意味があるのだろうかとやっぱり疑問は持ってしまう。投票してもしなくても何も変わりないんじゃないかって。神社の賽銭に小銭でも投げ込むような気持ちで投票する。あるいは、全く勉強せずに臨んだセンター試験みたいだ。4択問題のどれか一つを目をつぶって選ぶしかない。あ、今はもう共通テストなんだっけ。

何を信じたらいいのかわからなくなったら、直感で判断してもいいのではないかと思う。この人は好きになれそうか、そうでないか。
実際に会って言葉を交わしてみるのが一番だけれど、なかなか簡単にはいかない。

そういえば、思い出した。2年ほど前、前回の市長選で候補だった人と対談したことがある。この一言が忘れられない。
「で、ご要望は?」
一瞬、言葉に詰まった。元市長候補に市民が要望を伝えるという趣旨の対談であるとは、聞いていなかった。
別に私はあなたに要望を聞いてもらいたかったわけではないんです。ただ、夢を語っただけなんだ。自分の夢は自分で叶える。そのつもりだった。
それ以外は有意義な対談だったと思う。それだけに、たった一言がずっと棘のように刺さって抜けない。
公開されたYouTube映像では、その部分はカットされていた。

疑い出したら、人を信じられなくなってしまう。何を選べば正解かなんてわからない。
私にできるのは、ちゃんと目を開けて、アンテナ立てて生きていくことくらいだ。それにしても、新聞くらいは読むべきか。

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