うめしゅさん

部屋が梅酒くさい。

さっきまで酒でべたべたになった床を泣きながら拭いていた。

誰のせいでもない、私があやまって5ℓの瓶を蹴飛ばして転んだのである。

毎年毎年、梅雨頃になると作りはじめる梅酒。甘いお酒が苦手なので、自分はほとんど飲まないけれど、友達や親戚にウケるから、コンビニで買えば数百円のたかが果実酒を、一つずつ梅の世話をしながら作る。ただそれだけ。別に無くなっても誰も困らないし、誰も悲しい思いはしない。私自身が仕方なかったと笑ってしまえばそれで済む。だけど涙が止まらなかった。

この気持ちはそうだなあ、お気に入りのマグカップを割ってその破片を拾い集めているときとか、ひとりぼっちで食べた冷食のナポリタンが白いブラウスに飛んで、風呂場で下着姿になって洗っているとき、そういうときの感情。みじめとか、むなしいではちょっと違う、そんな感じがする。

梅酒も、マグも、洋服も、もう元には戻らない。後片付けをしている空間に、梅酒やマグや洋服だったものの残骸と、それらを片付ける私がいるだけの時間。これってお葬式みたいだなあなんて考えたりしてみる。彼らに心はなかったと思うけれど、私は彼らをそれなりに愛していた、愛着を持って接していた。だから「そんなこともある、仕方なかったよね。」では片付けられないのだ。涙の一つくらい流さずにはいられない。

どれだけ涙を流しても、しょせんはモノだから、目の前からいなくなってしまえば、そのうちに忘れていくと思う。ふとした瞬間に懐かしくなることはあっても、いつまでも台無しになったことに囚われたり、前に進めなくなるなんてことは全然ない。

だけど今回は様子が違う。目の前から梅酒は消え失せたわけだけど、部屋じゅうに、めちゃくちゃに甘だるくて、アルコールのとがった匂いが満ち満ちている。換気してもさほど変わらなかったから、しばらくはこのままだと思う。梅酒に気持ちはないとか言ったけど、甘さと酒臭さに頭痛がすると「何てことしてくれたんだお前」と梅に怒られている気がする。

だけどまあそれもいいかな、なんて泣きやんだ今は思う。しばらくは「ごめんね梅酒さん」の気持ちでいるのも。部屋がくさい間くらいは、梅酒のことを覚えていてあげようって。

なんで開き直ってんのって思われたかもしれない。なんでって、昔自分の失敗で壊したり、失くしたりしたモノってたくさんあるだろうけれど、今となっては全然思い出せないなあと思ったわけ。時間巻き戻ってほしいとか、ほんとバカだわ自分ってその時は思ったりしているはずなんだけど、今思い返してみるとどんなモノだったか思い出せない。つらいことほど思い出しにくいと聞くけれど、そういうことなのかしら。

酒臭い部屋で、かつて大事にしていたはずのやむなく手放したモノたちをほとんど思い出せないことにちょっと寂しさを感じつつ、たまには思い出してあげないとかわいそうだなあ、だって思い出せるのは元持ち主だけだし、なんて子供っぽくアニミズム的思考をした金曜日でした。

ちなみに落ちた梅を一つ食べてみたら、普通に梅酒の味がしておいしかった。

今は匂いでうんざりな感じだけど、来年になったらどうせまたつくるんだろうな・・・。

今度は誰か、瓶ごとひっくり返す前に飲みに来てほしいなあ。

 

皆さんは今までに大事にしていた持ち物のことをどれくらい覚えていますか?

私が最初に思い出せたのは、小さい時一緒に寝ていたパンダのぬいぐるみ(たしかゲロ吐いてお母さんに捨てられた)でした。

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