静物のための音楽

遮光カーテンが閉まった部屋には、朝も昼も夜もこない。おまけにここ数日は、外からの車の音や人の声すら聞こえてこない。盆や正月シーズンの学生街なんて、毎年毎年ほとんど空なのだ。今年はそこから逃げ出すように飄然旅行に出かけもしたけど、疲れれば結局、ここに帰ってくるほかない。

いよいよ世間との接点が感じられないこの淋しい部屋に、そしてどういうわけか現在、淋しい人間まで迷い込んできてしまっている。3日前から私の布団を占領して動かなくなっている彼女は、先程までは僅かに食べ物をねだったり、寒いと言って暖房を要求したりもしていたが、今は眉間に皺を寄せたままなんとか眠りについている。電気をつけると眩しいと言って何故か泣くので、私は自分の部屋にも関わらずキャンプ用のソーラーパフのあかりだけで過ごしている。ラジオや歌入りの音楽をかけると煩いと言って怒るので、私は自分の部屋にも関わらずうっかり大きな物音を立てないように細心の注意を払い、音楽は人の声が入っていないもの、そしてなるだけ静かで込み入っていないものを選んで聴いている。

例えば木太聡という人の音楽がある。彼がたった19鍵で紡いだピアノの曲が、今ちょうどスピーカーから静かに流れている。

<静物のための習作>

聴いていると、冷たい氷にそっと素手で触れているときのような、痛みによく似た安らぎを感じる。けれどそんな安らぎも、与えられて手にした側からまた流れ去り、奪われていく。

7、8歳の頃に通っていた小学校の校長室の壁には、テーブルに転がったいくつかの果物を描いた絵が掛けられていた。暗いしつまんない絵だなと思って眺めていたら、校長先生は私に教えてくれた。そういう絵を静物画ということ。静物とは死せる自然のことだということ。そこに描かれた果物もかつては「生物」であったけれど、今はもう「静かになった」ということ。

今になって思えば、子供相手にそんなことを教えてくれるなんて、あの先生はとても真摯な人だったんだなあ。あの頃はそれが分からなかったけど。私は今、彼女にどう真摯に向き合えば良いのかちっとも分からずにいる。真摯であろうとする姿勢さえ放棄して、うっかり静物のための音楽などかけたりしている。

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