きょうのそらもよう

小鳥は完全な生き物なんじゃないかなと、たまに思います、悲しい時とか人付き合いに疲れた時は特にね。

すべての個体が平均して愛らしい形と色を持っていて、匂いは干したての布団みたいな匂いだし、排泄物は小指の先ほどの、匂いも汚れもない、小さいうんちだけ。しかも形がいつも一緒で可愛い。カラスとか、鳩のフンとは全く違う。ご飯は1日に粟や麦が少しと、野菜をひとかけら食べる。歌も歌うし、飛び回ることもできる。

自分の髪の毛を粘着テープで掃除する時、汚ないなあという気持ちしか起こらない。一方でそらの羽はたまに生え変わりがあって抜け落ちることもあるけど、青や黄色のふわふわや、長いしっぽの羽が落ちていた日には、とっても幸せな気持ちになる。ビンに入れて大切にとっておく。そらの身から落ちるものは全部清いんじゃないかとすら思う。

小鳥たちは、大豆ほどの脳みそしかないくせに、とっても愛情豊かな心を持っているんだよね。二度寝をすると、2時間後ぐらいに寝室まで起こしに飛んできてくれるし、部屋でうとうとしていたら、肩に止まって一緒に眠ってくれる。悲しくて泣いていれば、そばで羽繕いみたいなことをしてくれることもあるし、首をぶんぶん振って、踊ってくれたりもする。

 

 

今日は帰宅してから、部屋で電気毛布にくるまって、加湿器と暖房をガンガンにかけ、だらだらとレポートをやっつけていた。ベッドに寝そべって、やる気のかけらもない感じです。人間の友達なら、ほっとくか無視するかだと思う。だけどそらはパソコンのモニターにずーっと止まって、「なにしてるん?」っていう感じでピヨピヨ言ってる。かわいい。

二度寝を起こしに来るときや、パソコンのうえで鳴いているとき、彼はエサほしさとか、遊んでほしさで来ているわけではないと思う。おもちゃで遊ぶのが上手だし、ケージに戻ればご飯もある。愛かよ~って私は勝手にいつも思っているけれど、本人(本インコ?)がどう思っているかはわからない。だけど、動物の本能とか単純な欲求だけではないんじゃないかっておもうんだよね。親ばか的な考えかもしれんけど。

絶対に、難しいこととか、複雑な感情とか、そういうものは持っていないのだろうけれど、私はそらのことを見ていると人間のかわりに小鳥がたくさんいる世界なら平和だっただろうなあとか考えちゃう。ただ愛情と思いやりと美しさだけで生きている生き物、自分の醜さとか、罪とか、利己的な考えとか、そういうものにさいなまれないで、一緒にいたいね~っていう気持ちだけで生きていけるの、すご。

インコの寿命は5年から10年らしい。幅ありすぎ。そらちゃんはいま3歳だけど、あと2年で死んだら悲しすぎる。でも10年でも無理だ、、。そらが死んだらどうやって生きていくかわからんなって思う。そらがつめたくなる時のことをかんがえると涙が出るし、100年くらい生きていてほしい。でも思うの。夏目漱石の何かで、「百年はもう来ていたんだな」ってセリフがあるじゃん。きっと、100年が一瞬に感じることもあれば、いまそらと家で過ごす1時間が永遠のように感じることもできるだろうって。だから今日もそらはかわいいな?!という気持ちでわおんは生かされております。

つかれすぎセンチメンタルで、そらが死んだら悲しいという話になってしまったけど、きょうもそらちゃんはかんぺきにかわいいです、グンバツです、元気です。

愛がほしい人は小鳥を飼うべきだと思う、ほんと。

“きょうのそらもよう” への2件の返信

  1. 夏目漱石の夢十夜です!
    あれ好きです。

    時間があったら夢十夜の6夜についての話を更新したいです。

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