こわいものしらずな『おくちゃん』

 

お題ありがとう。『尊敬する人』

 

面接のときの苦手な質問ランキング上位が「短所は何か」と「尊敬する人」なんですよ、実は。

短所を言うときって、テンプレートにあてはめると「私はほにゃららです。でも、ほにゃららすることによって対応をしています。今後、貴社でほにゃららしていきたいです。」

って、何かしら改善策を述べなきゃいけないきがして、むずがゆいんだよね。だって自分の短所を直したいとおもわないんだもの。

尊敬する人もそう。なんだろ、この感覚伝わるかな?

面接のとき、引っ張り出す『尊敬する人』って、面接で話す内容とつじつまをあわせるように決めている気がして、好きじゃないんだよなあ。

もちろん心の底から尊敬している人の名前をあげるけど、面接に都合のいいことしかしゃべらない。

いやほんとうに当たり前なことだけど、「人によく思われたい」っていう自尊心や「人によく思われなければならない」っていう義務感は、自分を知ってもらうときの妨げになって、厄介だなあと思うよ。(それをぜんぶひっくるめて、”自分”なのだけど。)

だからこのダーリンで自尊心や義務感なしに、純粋に尊敬する人を語らせてもらえる機会はとってもうれしいなあ。ありがとう。

 

わたしが尊敬する人は、一生恩返ししつづけても恩を返しきれないほどの恩師、おくちゃん。(普段は苗字で呼んでるのだけど、ここでは伏せたいのでむりやりなあだ名になっております。)

おくちゃんはわたしが赤色のアカもしらない頃の先生。ろう学校(聴覚障害児のための学校)には、幼稚部より下の乳幼児クラスなるものがあって、そこで出会った。

この頃の記憶はさすがにないので親からのお話を拾い集めただけの情報しかないけれど、わたしの人生を決定付けたのは明らかにおくちゃんなのだ。

聴覚障害児は、聴力の重さがある一定のラインを超えると『人工内耳』というものを医者や言語聴覚士や教師からすすめられる。人工内耳は聴力の神経に機械を埋め込んで人工的に聴こえるようにするための道具で、補聴器じゃ拾いきれない音を拾うから爆発的に流行している。

で、わたしの親は人工内耳の手術をすすめられて、悩んでいたときにおくちゃんに出会ったのだ。

 

「この子に人工内耳は向いてないよ。目が動く子だから」

 

おくちゃんは親の不安を吹き飛ばすように、こんなことを言ったそうだ。

当時のろう学校は意外かもしれないけど、手話が禁じられていた。「手話は日本語力を低下させる」として、手話を使う子がいたら睨まれるほどだった。

そこで、おくちゃんは続けて言った。

 

「わたしがこの子に手話を教えるから、心配しないで」

 

この言葉のおかげで、わたしはいま目から入る世界だけで生きている。

聴力がほしいとおもったことがないといえば嘘になるけど、あんまり強く思ったことはない。せいぜい「音楽が聴いてみたい」程度だ。

おくちゃんはその発言にきっちり責任をもち、こそこそ手話をおしえてくれた。

わたしが自意識過剰なほど、自信をもって生きているのはおくちゃんのおかげだと思う。もし手話じゃなかったら、完璧じゃない聴力に劣等感を抱いていただろう。

そして中学部になるとき、おくちゃんはこそっとわたしになにかを囁いた。それは遠い県にあるろう学校の高等部に進学する気はないか、という提案だった。

 

「あなたは視野を広くもてる人だから」

 

おくちゃんがこう言ったのは、親からの伝聞でもない。ちゃんと自分が覚えている。
そのろう学校は、大学への進学率が高い数少ない特殊な学校で、おくちゃんはわたしに学んでほしいと思っていたようだった。

 

「勉強もいいけど、それよりも大学生の間にちゃんと遊びなさい。まだまだ遊ぶことが仕事だよ」

 

大学生活は人生の夏休みだよ、とおくちゃんは続けた。その言葉の通り、わたしは大学にすすんだ。そして、全力で遊んでいる真っ最中だ。

いろいろ倫理に反することもやったし、アブノーマルな友達もできたし、就職活動もまじめにやらなかった。

 

で、最近ほんとうに思うことがある。

赤の他人の人生に口出しするって、すごく難しいんじゃないの。

元からある口話教育をさせたほうが、責任を免れて楽だよね。わたしがおくちゃんなら、きっとそうしてた。

でもおくちゃんが言ってくれた言葉のおかげで、わたしはわたしの人生がおくれているなあっておもう。

言葉がもつ力の偉大さも、個性に胸を張っていいことも、おくちゃんが教えてくれたのだ。

 

そして最近、おくちゃんにあるお願い事をされた。「学童クラブを作りたい」と。

そのおくちゃんの夢を叶えるべく、わたしはボランティアとして手伝いながら、少しでも恩返ししようと動いている。

それと同時に、おくちゃんの強み「他人の人生に口出しができる」秘訣を探ろうと奮闘中。

…ただのこわいものしらず、だったら学べないけど。

 

でも、おくちゃんの子どもが言う言葉そのものだけじゃなくて態度だとか、服装だとか、表情だとか、髪型だとか、あらゆるものをぜんぶ言葉として受け取ろうとする姿勢はほんとうに尊敬するなあ。

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