二日酔いに合わせて、思考の二日酔いになっている。
思考の二日酔いという言葉は僕が今適当に作った。前日の酒があとをひくように、前日の考えごとも後をひくのだ。僕は放っておくとずっと考え事をしてしまう人間なので、意識的に思考を停止する手段をいくつかもっている。その中で一番手っ取り早いのがお酒を飲むことだ。簡単に無になれる。
昨日は悪いことに、泥酔しながら真剣に考え事をしてしまった。しかもダーリンの、ずいぶん根本的な、答えのない内容についてだ。「人はなぜ生きるのか」みたいな命題を投げかけれられたら「知らねえよ馬鹿!」と一蹴するが「生きるために、書くとは」なんて命題をなげかけられたら、考えざるをえないだろ?
だから、胃に未消化のワインが残っているし、頭には未消化の命題が残っているのだ。な?思考の二日酔いっぽいだろう?
でだ、僕は酔った状態で今朝ダーリンに訪れた。正直悪くないなと思った。これは強がってるとかじゃなくて、本当に良いもんは酔い。良いもんは酔いってなんだよ笑これいいなあ。「良いもんは酔い」今後も使っていこう。何の話してたっけ。
今まで結構人の尻を叩くことに徹していた。叩くべきではない人はネタを掘り起こしたりしていた。それはやっぱり僕の手の中にすべて乗っているという感覚なのだな。で、乗っているのが当然だと思っているから、手のひらからこぼれ落ちたものが気になってしまうのだな。だから、「ダーリンで文章をかいてもらうためには」みたいな本質的でなければ、答えもない、くそしょうもない考えにいたるのだな。馬鹿か俺は。本当に馬鹿かお前は。
俺が今日ダーリンをみて感じた素晴らしさは、俺がなんと言おうと、もがいてるやつはもがいているし、弁当つくるやつは弁当作ってるし、それが偶然ダーリンという場所に集まっているということだ。それって嬉しくないか?僕がダーリンという公園を作ったとして、僕が家で酒を飲んでいる間、誰かがブランコにのってラブソングを口ずさんでいるかもしれないし、鉄棒でせっせと懸垂をしているかもしれないじゃない。それを想像したり、たまに見に行ったりするの、けっこう素敵なことだ。
早い話、俺は環境を作っただけで、ルールなんて求めていないので、好きなように遊ぼうぜってことだな。つーかそのつもりだけど?って人はごめんな。
「毎日文章書けない」 いいじゃん
「他のメンバーの記事読めてない」いいじゃん
「しょうもない文章しかかけない」いいじゃん
って感じだ。
今日も読んでくれてありがとう。ジャズバーのマスターは、自分の店にもかかわらず、たまにしか顔を出さない。見たい公演を見に来るし、酒をのみたいからのみに来る。マスターが50年も店を続けてこれた理由は、そこらへんにあるよな。これおもしろいな。考えてみよう。