まだ、きみの良さがわからない

「まだきれいなのに」
自転車屋のおじさんは視線を下向き加減に、つぶやくようにしゃべる。けれど確かにそう聞こえた。

新しい自転車を買ってもらった喜びよりも、10年間一緒だった相棒とのお別れが私にはつらかった。

結局、誕生日プレゼントに自転車をお願いしてから4ヶ月も隔たってしまった。買いに行くのを私が渋ったせいだ。

前カゴには穴が開いていて、後輪の車軸は一本欠けている。金曜日から、そろそろパンクしそうな気配だった。
こういうのはペダルの感覚でわかる。あ、もうじきパンクしそうだなって。
それでもだましだまし空気を入れ、今朝バイトに行く時に乗って行った。

まだ乗れるのに手放してしまうのか。後悔の念がチクチクと胸を刺す。

新しい自転車を選ぶのにはさほど時間はかけなかった。
値段と色とカゴの大きさと重さだけを見て、ささっとこれに決めた。一本足のスタンドだけがどうも気にくわなくて、安定するタイプに変えてもらった。
あれこれ迷うのは私の性に合わない。本当の良さは時間をかけて付き合ううちにわかってくるのだと思う。

真新しい自転車に乗ってうちまで帰った。
ちょっとこわい。ハンドルの曲がり具合、ブレーキのかかり具合、ひとつひとつ確かめるように慎重に走らせた。当たり前なんだけど、他人の自転車に乗っている感じ。
今までの自転車は、大きくて力強い翼を持つオオタカだった。それに対して今私が乗っているのは、26型。ひとまわり翼の小さなハト。ギアを回しても既に一番重い段に入っている。前みたいにペダルに思いっきり力が入らないのが物足りない。

心にぽっかり穴が開いたような気分だ。
私はなんてことをしてしまったんだ。一心同体だった相棒を自転車屋のおじさんにあっさり引き渡してしまうなんて。
やっぱり、27型にするべきだった。
まだ乗れるのなら、新しく買い換えるのではなく修理をお願いするんだった。パンクしてもまた修理に出せばいい。全ての車軸が取れて漕げなくなるまで、最後の最後まで乗ってやるべきだった…。
いくつかの後悔が胸を過ぎる。

庭先で自転車を降りた。
いつもなら車庫の手前ぎりぎりで自転車を降りるのだけど、初めて乗る自転車でそんな荒技をしようとは思わない。

緑の自転車を車庫におさめると違和感しかなかった。一度走らせただけでタイヤの匂いはとれない。
後でばーちゃんに言われそうだなぁ、「誰の自転車かと思った」と。明日また出かける時には私も同じ気分だろうよ。

まだ、きみの良さがわからない。
夜の闇を流れ星のように切り裂いて走り抜けるような経験は、もう二度とできないかもしれない。でも私ときみとで別の走り方をきっと創り出せると思うんだ。
これから、よろしく!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。