子どもだった頃、数え切れないほど叱られた。
勝手に走っていくな。食べ物を粗末にするな。出かける時は大人にちゃんと言ってから。布団を床に引きずるな。階段で遊ぶな。ゲームは時間を決めてやりなさい…
ゲーム。
ポケモンのゲームでよく遊んでたなぁ。ルビーとサファイア。
赤いちょきんぎょのバッグにいつもゲームボーイを入れてたのを、覚えてる。マンションに住む友達のうちに遊びに行ってはポケモンを交換してた。
街によって違う音楽が流れてた。もう何年も聞いていないのに、今でも頭の中に再現できるよ。
トウカシティ。キンセツシティ。ポケモンセンターも。
目をつぶって音だけで今どこにいるのか当てることだってできそうだ。
あの頃の私は、聞こえていたんだ。
「あなたが小さい頃はね」
と母は大人になった私に言う。「言っていることが聞こえなくて毎日泣いてたよ、2人とも」
全然覚えてないや、と答えたけど、記憶をたどっていくと色々あったような気がする。
若い頃の母は時々ヒステリーを起こした。子どもがある程度大きくなって、手に文字を書いたり、指文字を使ったりできるようになるまでは大変だったんだろうな。
子どもの頃の私の世界は、ほとんどが親で占められていた。
父と母が喧嘩していた時の、すっごく不安だった気持ちを覚えている。
家族4人でドライブしていて、突然母が「歩いて帰る」と言い出した。わけがわからなくて、言いようなく悲しかった。
幸せな記憶がないわけではない。アルバムを探せば、子どもだった私の笑顔や変顔がたくさん見つかるだろう。
でも、今それらを見たらきっと、せつなくなってしまう。あんなに叱られて、自由を奪われて、それなのにどうして無邪気に笑うことができるのだろうか。
大人に対して、子どもは無力だ。
私が思い出せる一番古い記憶。
3歳頃だろうか。父がよく散歩に連れて行ってくれた。お気に入りのパタパタ絵本を持って一段一段、階段を下りていく私。足が短かったんだね。
母についてよく本屋さんに行った。会計をするレジがずいぶん高く感じた。
家のトイレの電気も、背伸びしないと届かなかった。
大人になった今は背が伸びた分、視野が広がった。高いところにも楽に手が届く。
その代わり、電話台の横の隅っこに隠れられなくなった。
休みの日、庭をほじくり返して泥だんごを作るのに夢中になった。遊んでいる時のあの感覚は、子どもの頃だけのものかもしれない。
その後必ずばーちゃんに叱られた。「ちゃんと埋めときなさいよ」って。
大人はいつもそう。子どもが一生懸命作った穴や泥だんごの価値を、全くわかってくれなかった。
それが私は悲しくて、よく電話台の横の隅っこでふてくされてた。
時々いとこが遊びに来て、庭で4人ドッジをやった。普通のドッジボールと違うのは内野が1つしかないこと。
外野と内野と外野、ただのコンクリートのひび割れが、国境と同じくらいに厳重な意味を持っていた。
いとことはよく喧嘩になったけど、それはそれでいい思い出だ。
学校に行くのがいやだった。いじめがあったわけではないし、先生のことは好きだった。
今思えば、何がそんなにいやだったんだろう、と不思議なくらいだけど、当時は深刻に学校に行きたくなかった。
学校を脱走する計画を立てたけど、実行はしなかった。度胸がなかったから。
毎日学校に行かないといけない、宿題しないといけないって言われると、途端に嫌になっちゃうんだよね。がんばりたいという気持ちと、やりたくないという気持ちの間で葛藤した。
本当は、自由でいたかったんだ。
庭の木に登るのが好きだった。高いところからはいつもと違った景色が見えた。鳥になりたくて、毎日ジャンプの練習をした。
小学校の頃、イルカの背びれに捕まって泳いだ。すべすべしたゴムみたいなイルカの肌。水を切って進む力強さに感動した。私はイルカになりたいと願った。
晴れた日には、何時間でも庭で過ごした。
時々広告のヘリコプターが飛んで来て、「ほうせきのはっしん」とか言っている。それに合わせて近所の犬が吠える。
遠くから電車の音が聞こえてくるのも好きだった。
カタンカタン、カタンカタン……。のどかで、平和な時間。
子どもの心をずっと忘れないでいたい。