Мой дедушка

私とじーちゃんの通り道は重なる。

朝早くじーちゃんが散歩から帰って来る頃に、私はバイトに出かける。
バイトが休みの日、私がジョギングから帰って来る頃に、じーちゃんはグランドゴルフに出かける。

私が自転車で走っていく時、じーちゃんはのんびりと歩いていく。
じーちゃんが自転車をゆったりと漕いでいく時、私はその脇をとっとと走り抜ける。

手を振ってすれ違う。決まって、私は右手。じーちゃんは左手。

まぶしく輝く朝日に目を細めながら、ふと後悔にも似た感情が私の胸を過ぎることがある。
なぜこんなにも急いでしまうんだろう。

効率よく、手早く、全てをこなすことを求められる、バイト中のペースと、
ゆったりとしたじーちゃんのペースはあまりにも違いすぎている。

自分のペースで生きていっても、いいんじゃない。
たとえ地震が来ようとも意に介せず歩き続けるに違いない。そう思わせるようなじーちゃんの歩くリズムは、生き急ぐ必要はないんだと、思い出させてくれる。

じーちゃんはいつも白のハンチング帽をかぶっている。
私は白のキャップ。パンダの絵がついた帽子はどう見ても子ども向けだけど、じーちゃんはそれを二十歳になる孫にプレゼントした。和歌山に行った時のお土産なんだって。
日差しよけになるからちょうどいいやと思ってかぶってる。毎日自転車に乗ってると日焼けしちゃうんだもん。
グランドゴルフへと畑へと、毎日外で過ごすじーちゃんは年中真っ黒に日焼けしてる。

無口なじーちゃんは多くを語らない。怒ったり喜んだりするのがほとんどわからない、まるで岩みたいな人。
でも、動物や小さな子どもは不思議とじーちゃんになつく。おだやかで優しい心を持っているとわかるんだ。

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