ひとやすみの公園。
小さな空き地にベンチばかりが4つもある。そのひとつに腰掛けて、ぼーっとする。子どもたちに会う前の5分間か、みんなとさよならした後帰る前に10分間、自分だけになる時間。
今日は、公園には寄らなかった。雨だから。
代わりにダーリンに書くことにしよう。
笑顔を忘れてしまっていた、今日の私。
大人虐待という言葉があまり聞かれないのは、なぜだろう。大人と子どもの間には歴然とした力の差があるから?
私の受けている殴る蹴るは、何と言ったらいいのかな。
あんまりいじめないでほしい。
特に高校生たちを相手にしていると、1度2度ならず、ひやりとする瞬間があった。押された後ろに小さい子がいたり、机や壁にぶつけそうになったりする。危なかった…。
もっと筋力を鍛えたらいい?
そういう問題ではなくて、
たとえ私の方が力が強かったとしても、腕力にものを言わすやり方は嫌だと思う。
私は決して、子どもたちより強いわけではない。
でも、自分より幼い者から「大人」と見上げられることによってはじめて、私は大人の資格を与えられた。
目には目にを、歯に歯を、というわけにはいかないよ。子どもは真似するからね、大人のやり方を。
実のところ、私は弱いんだ。あっさりやられる。
「痛いじゃないか」
と、時には笑いながら、時には笑うこともできずに……
おい、はちまき!
へらへら笑ってる場合じゃないぞ。
「やめて」と言わなければ。もっと強く、もっと本気で。だって嫌なんでしょ?
嫌なら嫌と言おう。
大人だから善悪を決める権利があるわけではないし、子どもだからいい悪いを判断できないなんてことはない。
私は私として、嫌なことだから嫌と言うよ。
私は嫌だと言う。悪いことだと思うから、そう言う。
きみは、その意味を自分で考えて、自分で決めたらいい。何が良くて何が悪いか、どうしたいかどうしたくないか。
百歩、いや、千歩どころか一万歩譲って私をいじめることは許すとしても、自分より小さい子たちにそんな真似するんじゃないよ。大人になった時、子どもをいじめたらいけないよ。
弱いものいじめをする、弱い大人だっているのだ。そんな人間になっちゃいけない。
子どもでいることを認めながら、
同時に言い続けるよ。
「もっと大人になろうよ」