ずっと遠くの雪かき

開口一番私は言った。「ロシアの手話、私忘れちゃったよ」

1年ぶりくらいに、私はロシアの友達とスカイプで話した。カタコトのロシア語指文字と、ロシアの手話と、日本の手話と、あとはジェスチャーで伝え合っている。

パソコン画面の中の友人は、「忘れる」の手話を教えてくれた。額らへんに右手を持って行き、見えない麦わら帽子のつばでもなぞるみたいに、右に動かす動き。
私は前にそれを教えてもらったことを思い出す。そうだ、そうだ、こんな感じだった。

まずはロシア手話を復習。先生の動きを私は真似する。お母さん、お父さん、兄弟、姉妹、おじいさん、おばあさん。

「明日、ばーちゃんと美術館に行く」
それを見て友人は、親指を立てるサイン。いいね!
伝わることは、こんなにもうれしい。

驚いたことに彼はずっと以前に、私から学んだ日本の手話をちゃんと覚えていた。お母さんも、お父さんも、日本手話でやってみせる。
「おもしろい」と彼はロシア手話で言う。「おもしろい」と私のする日本手話を早速覚えてしまう。

それから互いの近況を報告し合った。
「金曜日だけ大学へ行き、他はバイトをするか家で過ごしている。子どもと遊ぶバイトとお店のバイトの2つあって、今はお店の方は休み。来年1月からまた働くと思う。
ウラジオストク?この前の3月にウラジオストクへ行ったよ。友達と2人で。ろう者には会わなかった。風邪をひいてホテルで寝て過ごした。ボルシチ食べた。おいしかった」
それくらいの内容を私は伝えることができた。手話なのか身振りなのか、よくわからないけどなんとか伝わる。

逆もまた。
「僕は家でひとりだ」と彼は言う。ロシアの小さな町のどこかで、雪かきをして働いている彼の暮らしを私は思い描く。

私が読み取れるようにゆっくりと、友人はロシア語のアルファベットを並べる。
「カーチャ」
初め、女の子の名前かと私は思った。私たちの共通の知り合いの顔を思い浮かべようとしたが、カーチャという人を私は知らない。
地面から噴水が湧き上がるような手の動き。それから、何か食べ物のようだ。
カーチャではなかった。友人が言おうとしていたのは、「ダーチャ」。
ロシア人だったら決してこんな間違いはしないだろう。カーチャとダーチャはカタカナでは同じ「チャ」でも綴りは違っている。
ダーチャ、つまり家庭菜園の話をしたかったのらしい。植物が生えていて、野菜や果物を取れる場所。ジャガイモやキャベツが植えられていて、水をやって、草を取って世話をするのだと友人は言った。
「冬でも水をやるの?」私はびっくりして聞くと、友人は首を横に振った。
「今の季節は仕事と家を往復するだけで、退屈でしかない」
ちなみに今日はマイナス40度だそう。死ぬ。そんな寒さの中、雪かきをする彼を尊敬する。

凍死しそうなほどの寒さや、ダーチャに行けない退屈極まりない冬や、ボルシチを味噌汁のように食べる日常を、私は友人とのスカイプを通して思い描く。もし私が近くに住んでいるのなら、すぐにでも遊びに行けるのになあ…。
手の届かない距離で隔てられているからこそ、つながっていたいと望んで止まないのだろう。
よく友人はため息をつく。決して楽ではない仕事なのにお給料が少なくて、いつまた仕事を失うかもわからない。親の脛をかじってのほほんと生きている私とは別の世界みたい。
彼のために私に何ができる?ただ話し相手になることくらい。

勘違いしたり伝わったり、伝わらずに結局あきらめたりの繰り返し。そんなコミュニケーションが不思議と心地いい。辛抱強い先生のお陰で、忘れていたロシア手話を私はみるみるうちに思い出していく。

「次はいつ?」
「1ヶ月に1回くらい」
また話す約束をしている。

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