Short story: 時刻表

月曜日の13:33。二日市駅から海老津行きの快速列車が発車する時刻だ。

一本の電車の行方を辿ること。それが小野田の習慣というか、習性だった。カバンの中にはいつもJRの時刻表を忍ばせている。
今日は鹿児島本線。
その日の気分に合わせて電車と路線を選ぶ。今日のように1時間で福岡を横断することもあれば、普通電車で一駅一駅名前を確かめるようにゆったり走る日もある。

ルートを選ぶのは大抵、夜だ。
今日はどこまで行こう。時刻表を眺めて路線を決める。電車が走り出す時間に間に合うように目覚ましをかける。目を閉じる。
終電後の夜勤の時には、翌日の電車のルートを調べるのが常だった。

そうして小野田は10年来、変わり映えしないコンビニ業務をやり過ごしてきた。
体はこの、ろくでもない店に囚われて奴隷のように働かされる。しかしすくなくとも、気持ちだけは空の下を電車と共に走っているつもりになれる。

「小野田さん、電車の時刻表を読むんですか?」
水越が尋ねる。休憩を終えたようでバックルームから出てきた。アルコールで手を消毒し、冷ましておいたお惣菜を慣れた手つきでパックに詰めていく。
おや、と小野田は考えた。ひょっとしてさっき休憩交代の時に時刻表を机の上に置いたまま出て来てしまっただろうか。
それはありえる。お客が並んで急いで出て来たため、カバンにしまうのを忘れてしまったかもしれない。

コロッケのパッケージにラベルを貼りながら、水越はさらに質問を重ねた。
「電車、よく乗るんですか?」
「いや、普段は乗りませんよ。年に1回か2回、旅行に行く時くらい」
小野田が答えると、意外そうな顔をされた。
勤務時間中、同じ時刻を走っている電車のことを考えているだなんて、誰にも話したことはない。

平日の昼下がり、閑古鳥が鳴いている。
お客が来ないのをいいことに、水越はおしゃべりを続けた。
「そういえば、ずっと昔、青春18切符で旅行に行きました」
「ディズニーに、友達と行ったんです」水越は微笑む。「こう見えて私にも青春時代というものがあったんですよ」

青春18切符。
小野田が旅行に行く時には、決まって利用する。きままに途中下車できるところが気に入っている。
普段はどこへ行くにも時刻表を手放さない小野田だったが、旅行に出かける時は何も調べずに電車に乗る。
電車に乗っていればどこかに着く。駅で待っていればいつか電車が来る。窓の外を流れる景色を見ながら、ただぼーっとしたい。
実際は、まとまった休みが取れることなど滅多にないのだけど。

13:52、電車は南福岡に停車した。
思い出したように、水越がまた話しかけてくる。
「それにしても東京って遠いですね。片道5時間半くらい?」
小学生の娘がディズニーに行きたいと言い出して、新幹線で行くかバスで行くか迷っている。電車で行くのは時間かかりすぎますかね。
つらつらと続く水越の話に、小野田は相槌を打つ。

お客がやって来て、小野田はレジを打った。オートマチックな挨拶と手の動きとともに、瞬く間に数分が過ぎる。
「コロッケ20円引きセールです。いかがでしょうかー?」
水越が声を張り上げるのを聞きながら、小野田は遠く鹿児島本線を列車が走り抜ける音に耳を澄ませている。
時計を確認すると14:00をまわっていた。まだ博多か。今日はちっとも進まない。

「でも最近、本当に心配ですよね。東京へも行けなくなってしまいそう」
水越が言っているのは、昨日のニュースで言っていた東京への移動の自粛についてだろう。他県からの東京へ行くことが制限されるようになる。
電車も止まってしまうのだろうか。
小野田が願うのは、時刻通り電車が走ってくれることだった。電車が止まってしまうのを恐れていた。仕事に立つことなどできなくなってしまいそうな、気がする。

お茶を飲みにバックルームに入った際、案の定、机の上に置きっぱなしになっていた時刻表に目が留まった。
先週時刻表が改定されたのに合わせて新しく買い替えたものだ。汚れたりしないようにビニール袋に大事に包み、カバンに入れる。
その拍子にひらりと白い紙が床に落ちた。どうやら、隣の水越のハンドバッグに乗っていたもののようだ。
小野田は、その小さな紙片を拾い上げる。

時間割表だ。
左端の余白には時刻が書き込まれている。それによると、13:50から14:35までの今の時間帯は5時間目となっている。月曜日の欄は体育だった。
さっき水越が話していた、小学生の娘のことを小野田は思った。惣菜のパック詰めをしながら、レジを打ちながら、水越の心の片隅では、娘さんの授業時間が流れているのだろうか。

海老津を目指して、電車は走り続ける。
お茶を飲むと、小野田は再び勤務へと戻っていった。

(*フィクションです。実在の人物とは何の関係もありません。)

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