怒ることについて。10分よこの仕事

お疲れ様です。よしだじゅんやです。

泥酔していますが、偉いので今日も文章を書きます。遺憾無く褒めてください。

今日は社会人の怒り方について書いてみます。
みなさん知っての通り、よしだは共感能力が低いです。目の前で人が泣いていても、悲しいのだなと感じないし、頭を抑えて喚いている人を見ても、痛いんだな、と直感的にわからない人なのです。うむ、そう病気です。
で、社会人になって気付いたのですが、僕の周りの人間はやけに共感能力が高い人が多いのですよね。なんか困りごとがあると、すぐに親身になって聞いてくれる。僕がうまくいくと、自分のことのように喜んでくれる。その代わり、非難は全くしない。そんな人が多いのです。

そんな共感能力の高い同期たちと、共感能力が低いよしだじゅんやが一緒になって働いているのですが、半年くらい一緒にいて気付くことがいくつかあります。
1つに、共感能力が高い人は、アドバイスを怒られたと捉える傾向にあります。僕たちは週に1度か2度上司に対して企画をプレゼンし、コメントをいただきます。もちろん新人たちの考える企画なので、至らない点がたくさんあるんです。基本的には、上司の人たちから「ありがたい」アドバイスを永久にいただくイベントとなっているのですね。

で、大体上司からのコメントが終わり、新人同士で集まって反省会をすると、みんな口を揃えてこう言います。

「今日も怒られちゃった。心がしんどい」

共感能力が低い僕としては、その発言に全く共感することができません(同期の発言が誤っているのか、僕の共感能力が低いのかは謎のままですが)僕からすると、上司のコメントというのはあくまで助言に感じます。事実、建設的な意見をたくさんもらえるので、僕はむしろありがたいと感じていました。みんな、共感能力が高いが故に、無闇に自己肯定感をメキメキと下げているんです。これは、損をしているんじゃないか?と僕は不思議に思っていたのです。だって、わざわざ無駄に自己肯定感を下げるんて嫌ですよね。

僕は、仕事をしていても自己肯定感が下がらなくて得してるなー、くらいに考えて仕事を行っていました。
で、今日気がついたのですが、共感能力が高いことによるメリットがあったのです。それもめちゃくちゃ大事なことだと気がつきました。
簡潔に話すと、上司のコメントには「助言」と「叱責」が混在していたのです。共感能力が低い僕はその見分けがつかず、上司が発する重要なシグナルを理解することができずに今日まで過ごしていたのです。

上司というのは、声をあげて、部下に怒ることを全くしません。それはコンプライアンス的な要因もあるし、上司自身の精神衛生上の問題も含まれるでしょう。彼らは、普段の助言のトーンで、緩やかに僕たちを怒っていました。
仕事でいう「怒る」とは、上司の感情任せの叱責ではありません。「それ以上は進んでは行けない」という警告です。あくまでビジネスでのNGサインなのです。直接的に話すことはできないので、助言の中で、角が立たぬように、ほのめかすのですね。

共感能力が高い同期たちは、この警告を理解したが故に落ち込んでいたのです。そして、「この先は茨の道だ引き返そう」という選択ができていたのです。僕はというと、その警告に気がつくことができずに茨の道に足を踏み入れてしまっていたのですね。それによって、かなり大変な思いをしたりました。あの時、上司の警告に気がついていたら、と今でも振り返って後悔しています。

僕の共感能力の低さは決して回復することはないので、何とか上司の警告に気がつくような工夫をしないといけないなと痛感したのでした。やっぱり共感能力って大事です。だって意識しなくても、「気がつく」ことができるんだもん。何とかギャップを埋めていかないと。

今日も読んでくれてありがとう。コンプラがあちこちに張り巡らされているからこそ、仕事において、気付く装置をもっとかないといけないです。これはなかなか難しそうだなあと遠い目をしています。

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