透明人間になりたい

Если бы не я, то всё было бы замечательно!

ふと、窓の外を自転車で走って行く姿が目に留まった。背中に背負った革の鞄が珍しかったのかもしれないし、その清潔感漂う服装が魅力的に感じたのかもしれない。大学生に見えた。歯を食いしばるみたいな表情で坂道を自転車で漕いでいく。その横顔がなんだか、大学のゼミの先生に似ているような気がした。別にゼミの先生がいつも歯を食いしばっていたからとかじゃないよ。ゼミの先生が学生だった頃は恐らくこんな容姿なんじゃないか、っていう私の想像。「似ている」と言っても、眼鏡をかけていて、目の形や髪型に共通点がある人間は山ほどいるだろう。自転車の大学生は私にとって全く知らない人であるのに変わりない。信号に差し掛かったバスは速度を落とし、自転車はすぐに見えなくなった。
しかし5分とたたないうちにまた同じ自転車を目にすることになる。バスを降りた私が信号待ちをしていると、向こう側の歩道の片隅に自転車がスタンドを立てて止められていた。その傍にさっきの大学生が立ち尽くしている。パンクでもしたのかと眺めていると、彼はポケットからティッシュを取り出して半分に折り畳んだ。几帳面な性格なのかもしれない。眼鏡やシワひとつないシャツとも相まって、そんな印象を持った。後輪の泥除けから始まって前輪につながる部分へと、丹念にティッシュで拭いていく。そんなことしなくても自転車は十分綺麗な気がしたけど、気になる汚れでもついていたのだろうか。
信号が青になり、私は自転車を拭き続ける彼に背を向けて歩き出した。大学のゼミの先生のことをなんとはなしに思い出しながら。

出会わなければただの風景と同じなんだなと思う。「もし出会っていたら」「もし言葉を交わすことがあったなら」とか、思い描くことはしても、実際に行動を起こすまでには至らない。だって「どうしてこんなところで自転車を拭いているんですか?」という質問して、「実はこれからデートなんだけれど、急に自転車の汚れが気になってしまって。」などと答えが返ってきても、私には関係のないことだ。関係ないことに興味を持ったらかえって失礼になるかもしれない。だから、興味ないふりして通り過ぎる。もし彼が知り合いで、例えば大学のゼミの先生だとしたら、迷わず声をかけたんだけどね。

出会わなければただの風景と同じ。それが私には寂しく感じられて、ただの風景をしみじみと思い返してみたりする。「もし出会っていたら」と思うのは、出会ってみたいという気持ちがあるせいなんだろうか。
不思議だよね。出会ったからといって何も変わらないかもしれないのに。
ずっと遠い国に住んでいる人のことを大切な友達だと思い続けていることもあれば、何年かぶりに突然連絡を取るようになったりする。一度も会ったことがなくて、これから先出会うこともない人物を心の底から尊敬してしまうことだってある。そんなご縁がどこかに転がっていやしないかと、「ただの風景」の中に目を凝らして…。でも結局何も行動しない笑
縁があればいいなと思うけど、縁などなくてもいいと思う。ただの風景を眺めているのも好きだし、そこに私が存在しなければならない理由はどこにもない。出会っていないからこそ、まだ知らない世界に心を寄せることができる。
大学を卒業してからゼミの先生には会っていない。でもふとした折に思い出す。お元気でいらっしゃるだろうか…。

時々「私のいない風景」に想いを馳せる。それは会わなくなった後のことではない。同様に、家を出た後の実家やバイトを辞めた後のバイト先のことでもない。「自分が死んでしまったら、周りの人はどんな反応をするのだろう」と考えることとも違う。
そうではなくて、最初から私がいなかった世界のこと。その世界にもきっと「ぼくのダーリン」のサイトは存在していて、「はちまきのダーリン」はない。その世界の誰もはちまきのことを知らない。
私は存在しないからきっと何も感じないんだろうけど、透明人間としてこの世界を見つめていたらどんなふうに感じるのだろう?ってね。
そうか。
私は透明人間になりたいんだ。
何も口を挟んだり、何も変えたり止めたりすることが出来なくても、そのままの世界をただ眺めていたいんだなあ。例えば誰かを好きになってその想いが伝わらなくても、眺めることができるだけで幸せだと思う笑
あるいは憲法9条が改正され、第三次世界大戦が勃発し、日本に再び原爆が落とされる日が来ても、私は黙って眺めてるのだろうか。小説を読んだり映画を見たりする時みたいに?心を痛めはするけど、自分には関係ないことだ、って?
そうだなあ…。
透明人間じゃなくて、透明になりたい。透明になって、私には関係のないものをただ見つめている。
ひょっとして、そんな透明な存在がそこらじゅうにいたりしてね。名前のない、目には見えない心。そういうものに私はなりたい。

私がいない風景はいつでもすてきだ。なぜならそこに私がいないから。

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