Фейерверк

友達4人で恋バナをした。理想のナツコイというテーマで雑談していて、練乳がこんなことを言った。
「夏に出会って夏に終わる、花火みたいな恋」

あ。
あれは花火みたいな恋だったのか。

すとんと腑に落ちたんだよね。夏ではなくて冬だったけど。

ロシアに留学中の1月、ルームメイトのСと2人バルト三国とポーランド旅行に出かけた。サンクトペテルブルクからバスに乗りまず向かったのは、バルト三国の最北に位置するタリン。そのバスの中でСが言った。

「あの子日本人かも」どうも英語の発音が日本人っぽいんだそうだ。
確かに日本人に見える。茶色がかった黒い髪、すっと細い目、ちょっと浅黒い肌。上着の紫が目を引いた。
早朝、タリンに到着した時、バス停のベンチで座っていたのを見かけたので話しかけた。

名前を仮にはじめくんとしておこう。彼は東京の大学に通っていて、世界一周旅行の途中なのだと言った。
「一人で旅してるんですか?」
「はい」はじめくんは、なんだか久しぶりに日本語をしゃべるような話し方だった。「今日一緒にタリンを観光してもいいですか?」
思わぬ道連れができた。

それからまた、タリンのおみやげ屋さんでもう一人日本人の男の人に出会った。Sさんもヨーロッパを一人旅をしているところだと言った。
日本からずっと離れた場所で同国人に出会うとどうしてこんなに嬉しくなってしまうんだろうね。私たち4人は意気投合して、タリンの後も、リガ、ビリニュス、ワルシャワで再開しては一緒にオールドタウンを観光した。

石畳の道を歩きながら、はじめくんはこれまで旅してきた間の数々の出来事を聞かせてくれた。
例えばインドで瞑想をしたこと。目を閉じて息をしながら、世界に対する自分のちっぽけさを感じた。それから、ガンジス川で沐浴した後、泡を吹いて倒れて病院に運ばれた。

交通事故にあって九死に一生を得た時のことも語ってくれた。
世界一周旅行に出る1年前のことだった。自転車旅行をしていた時、10トントラックに轢かれた。
「一緒にいた友達が救急車をすぐに呼んでくれて、本当にラッキーでしたよ」
はじめくんは私とほとんど年が違わないはずなのに、その横顔はとても大人びて見えた。

一緒に旅する間にも、毎日のようにアクシデントが起きた。リガのダウガワ川で氷の上に立とうとして川に落ちたり、レストランで魚の骨をのどに詰まらせたり。ひやひやさせられたよ、本当に。

こんなこともあったな。
「あれはちまきちゃん、目はれてる?」
リガを歩いていたときだったか、はじめくんが私の顔を覗き込んで言った。
えっ。
なんと言ったものかこの場合。とりあえず正直に言った。「実は、アイシャドウです」
Сは「はれてるようには見えないよ」と言ってくれたけど、以来私はピンクのアイシャドウはやめた。

本の話もしたし栄養の話もした。哲学や宗教の話もしたかな。
はじめくんは変わってる。『プライベート・ライアン』や遠藤周作の『沈黙』が大好きだという。血しぶきが飛び交うような戦場や拷問なんて私は怖くてあまりみたいと思わない。でも、興味の方向が違うからこそ、一緒にいてわくわくした。はじめくんは私の見たことのない映画、読みそうにない本を知っていて、彼を通して私は新しい世界に出会うことができた。

話せば話すほどその知識の幅広さに驚かされる。同時に、見るもの聞くものなんでも自分の知識にしてしまおうとする。そういうところを私はとっても尊敬していた。
めっちゃ頭いいはずなのに、一方でちょっとあほで無茶をする。はじめくんの行動力と大胆不敵さは、私にとって不思議で、そして眩しく感じられた。

そんな彼と旅を共にしているということがとてもうれしかった。中華料理屋さんで食べたお米がカンボジアの味だったこと。カモメたちの翼の下で潮風を顔に感じたこと。城壁に沿って歩きながら、城を建てる場所についてあれこれ意見を言い合ったこと。地図を覗き込みながら、一緒に旅する喜びを分かち合った。

バルト三国のすばらしい日々はあっという間に過ぎて、私たちはワルシャワにいた。そこから私とСはロシアに帰る。その前に最後に4人で会おうと約束していたんだ。

その夜、駅近くで見つけたレバノンレストランでごはんを食べ、はじめくんののどに魚の骨が刺さるという事件の後、彼は言った。
「隣座ってもいい?」
椅子よりソファの方が楽なのかなと思ったけど、そういうわけではないようだ。
はじめくんは私の手を握った。
どうしたの?具合でも悪いの?
あったかすぎる手の熱に私は本気で心配したけど、そういうわけでもないようだ。

そういえばさっきさ、地下鉄の中で私が猫のブローチを落としたのを拾ってくれたよね。「ありがとう」と言って受け取った私の目を、まっすぐに見つめ返して微笑んだ。
その時なんだか不思議な感じがしたんだ。

私は膝が震えてきそうになる。
つないだ手。これはどういう意味なんだと、考えるまでもなく恋に落ちていた。

本当に好きだったのだ、はじめくんが。

「花火のような恋」
と聞いた時、私はしかるべき答えを見つけた気がした。
夜空にぱぁっと花ひらいてあっけなく終わってしまった、花火のような恋だった。

「すてきな出会いだった。ありがとう。」
もう一度はじめくんに会えるのなら、そう伝えたいな。

今は自分を納得させて、別の人を好きになった。冬が終わって春がきても、夏がきても、その先も、ずっとずっと、一緒にいたいと思ってる。

……と結べたらよかったんだけど、そんなわけなくってさ、書いているうちに悲しくなってきちゃった。
私はまだ、はじめくんが好きなのだろうか。

ワルシャワで「友達でいたい」と言われた時、「友達としてではなく、恋人として付き合いたい」と言うべきだった。
「距離を置きたい」と言われた時、「やだ!」と言わねばならなかった。

誰かを好きになることは、自分の本当の気持ちを見えなくさせる。好きな人の全てが正義であったから(あれれ、『ボクたちはみんな大人になれなかった』の主人公とおんなじこと言ってしまったよ、まいったな)。
いつもいつも私は、自分の中のわがままな心を無視していた。本当はどうしたいのか、考えるのを放棄してしまっていた。それは私の悪いところだ。

いま好きな人に対しては、同じ過ちを繰り返したくないと思う。
もしも、万が一、「別れたい」と言われても、あっさりオーケーなんて言わない。「やだ!」の一つくらいは言う。私はきみとずっと一緒にいたいんだ。

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