私と、書くこと

はちまきのダーリンを書き始めてから1年が経った。いっぱい書いたなあ。
読み返すとなんかおもしろい。文体がころころ変わる。その時その時の自分そのままがそこに残っている。

いい文章を書いているだろうか、という疑問が時々頭をもたげる。いつもいつも言葉を迷う。投稿後も書き直したくなる。消したくなる。それでいいのか、いやちょっと違うのではないか。書いては消して、揺れ動く今の自分。
過ぎたことはいい。もう変えようがない。だから安心して読むことができる。こんな自分がいたのかと、客観的に見つめられる。懐かしくさえある。

迷い揺れる「今」から抜け出したくて、私は文章を書くのではないかと思う。つかみどころのない心を文字にして留め置こうとする。
私はひとりの人間であるけれど、時々まるで知らない人みたい。何を考えているの?何を好きなの?何を見ているの?なぜ悲しいの?
だから言葉にしなければならないんだ。自分のことを、もっと自分に知って欲しくて、文章に書く。

文章に対して、私は異様なほど信頼を寄せてしまう。
他人に対して心を開くことは難しいけれど、文章でなら上手く伝えられる気がする。

ななこやよしださんや、他のメンバーが書いたダーリンを読むと、顔が思い浮かぶ。たとえまだ顔を知らなくてもね。
今日、米津玄師さんのサイトを見ていたらブログを発見した。
ああ、こんな言葉で語るんだ。
会ったこともない遠い人の姿を文章は私の心に描いて見せる。雲上の存在であることに変わりないのに、昨日よりも今日、親しみを感じるのはなぜだろう。音楽の中の米津玄師に、私はじっと耳を傾ける。文章の中にその輪郭を探す。

もちろん、文章だけがその人の全てではない。書かれたものと全く同じようにしゃべる人なんていない。
オフィシャルサイトのブログは、米津さんが作り出したオフィシャルなイメージかもしれない。
ダーリンを読むことでしか知らなかったよしださんと、実際に会って話した時のよしださんはやっぱり違った。

文章は、人間のほんの一部でしかない。
言葉に言い表せない自分を誰しも持っている。私も例外ではない。
それでも私は、書かずにいられない。本当の言葉を自分のうちに探し求める。心から納得できる生き方をしているだろうかと、自分に問いかける。納得できない時もある。でも足掻き続ける。不確かな自分を少しでも形にして、この世界で生きていくために。

1年間ありがとう。
来年もまた、よろしくお願いします!

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