Летучая мышь

今日は新しく登山靴を買った。
今まで履いてた靴は壊れちゃった。本宮山は神社までで断念したけれど、次はきっと、頂上まで。

まぶたの裏の日光は紅い色をしていた。電車を待つ間、暖かな陽気に身体中すっかり温められた。
目を閉じていても香りでわかる。水仙の花だ。

無人駅で電車を降りる。登山靴を履いたふたり連れを見かけた。車掌さんに切符を手渡していく。
そこから山までは一本道だったけれどのっけから道に迷った。川を渡って行くんだった。ようやく正しい道を見つけ出し、歩き始めた。

風が吹くたびに笹の葉が生き物の毛皮のように揺れる。ガマの穂が茶色い。枯れ草ばかりの中で、トマトのようなオレンジ色の実がくっきりと鮮やかだった。
用水路を渡った時、橋の際に救命竿がかけられているのを見つけた。溺れるような水位には到底思えない。晴れた冬の日にはそうでも、大雨の時には様変わりするのだろう。

風の中に牛の匂いが混ざる。予想通り牧場があった。トラクターが屋根の下で動いている。「牛糞 100円」と書かれた看板が下がっていた。目を皿のようにして中を覗き込むと細長い耳が見えた。白と黒の乳牛だ。
トラクターの振動が空気を震わせる。お正月でも農家の人は休みがない。

道は畑の中を突っ切っていく。白菜の葉っぱが散らばる畝や、今は季節ではないけれどトマトやいちごの直売所の看板があった。
大きな山茶花の木が枝を広げる下に、赤や白の花びらが降り注いでいる。感じのいい、赤みがかった色の土。いい野菜が育ちそうだ、と思う。
ほとんど車の通らない、静かな道だった。行きと帰りに一度ずつ、赤と青の車にすれ違った。
立ち並ぶ家は全くと言っていいほど人気がない。車や自転車はとめ置かれてもの抜けの空。持ち主はいったいどこへ行ってしまったのだろう。

山に入って私はその答えを知った。
誰もかれも、山の上の神社を目指していく。降りてくる人たちは背中に破魔矢を背負っている。登ってくる人もまた、去年の矢をお返しするためか、やっぱり背中に白い羽がのぞく。
お正月から山の中でこんなにたくさんの人を見るとは思わなかった。

その中に、見覚えのある紺色の帽子を見つけた。電車を降りる時に見たふたりだ。
「こんにちは」と挨拶をする。
山ですれ違った時のルール。これから登って行く相手への励ましが込められている。

山登りは楽しい。山を登っているととても生きている感じがする。
Если бы крылья у меня были…. 私に翼があったらな….。
そんな風に思うこともある。けれども一歩一歩登っていく楽しさにはかえられないや。
寒さを感じるのは、生きているからだ。寒さも、痛みも、悲しさも、苦しさも、全て。まだまだ私は、生き足りないなあと思う。

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