私が部屋へ入って行くと、2人の女の子は思いっきり舌をつきだした。べーっ。
かわいくてつい、笑顔を返してしまうんだけど、ベーってやっても良かったな。それってすごくすてきな挨拶の仕方だと思う。
タックルしてきたり、ハイタッチしたり、かと思えば手を差し出すと痛いくらいぎゅうぎゅう握りつぶしてきたり、一人一人違ったいろんなやり方で挨拶をしてくれる。
タイムカードを押した後、壁に貼られている名札を確認する。今日来る子たちの名前が写真付きで並ぶ。
よく来ているスタッフほどその名札はよれよれ。子どもたちの仕業だ。
それから学校へお迎えに行った。
子どもたちを車に乗せる。シートベルトを締めたかどうか、あっちの子がこっちの子にちょっかいを出していないか、私はあれこれ気を配る。
後ろの席で宿題を始めようとしているのを発見した。私は言った。
「宿題は車を降りてからやろう」
「なんで?」
「急ブレーキかけた時、危ないからね」
「ささる?」と言ってその子は私の手に鉛筆を刺そうとする。
「ささるささる、ほんとに刺さったら痛いよ」
それを聞くと素直に鉛筆をしまった。
宿題を見守っている時も気が抜けない。隣の子とおしゃべりしてばかりでなかなか宿題を始められずにいる子もいれば、宿題から逃げてきて私の背中に隠れようとする子もいる。後を追いかけて来るスタッフは怖い顔をしている。もちろん本当に怒っているのではなくて、わざと厳しくしているんだ。子どもと一緒だとなんでも楽しくなってしまうのだけど、追いかけっこをしていては宿題は永遠に終わらない。
「宿題やった後で遊ぼう」
私は背中にしがみつく子どもを引き剥がすと、なおも逃げようとするその子を、苦労して椅子まで引っ張っていった。
私にも怖い顔が少しずつできるようになってきた。嘘をつくのが上手くなる。同時に、自分の中の何かに鈍くなる気がする。例えば、嘘をついているという感覚を少しずつ忘れていくみたいだ。
宿題を終えると公園へ行った。回転ジャングルジムの周りには昨日降った雨で水たまりができていた。気をつけてねと言葉をかけたのに、足を濡らしてしまった子がいる。
冷たい手で私はジャングルジムを回す。そのてっぺんでは子どもたちが寒さも知らず笑い合っている。
さっきまで笑顔だったのに、次の瞬間には泣いている。転んだとか、誰かが叩いたとか、おもちゃを取ったとか、大抵はそんな理由で。
このアルバイトを始めてすぐの頃、小さな子に泣かれると、おろおろしたものだった。人の胸中など知る由もなく、子どもたちは涙でぐしゃぐしゃの顔をくっつけてくる。
小学校高学年くらいになると言葉で不満を訴えてくれる子もいる。一方で、言葉で表現することが難しくて、他の子に手が出てしまう子もいる。突然叩いたり、髪の毛を引っ張ったりしてしまうのにはちゃんと理由があるのだろうけど、気持ちを抑えられるようにならないといけない。
「どうして叩いたの?」
スタッフが尋ねる。
本人も悪いことだとわかっているから、「ごめんなさい」と謝る。
「そうじゃなくて、叩いたのはどうして?」
いやだと思ったら叩くんじゃなくて、言うようにしよう。
今はまだ難しくても、きっとできるようになる。私はそう思ってる。願ってる。信じている。それでいて、本当は言いたくないと思ってる。大人になりなさい、なんて。
その日は帰りの車に私も一緒に乗った。1人ずつ順番に最後の家まで送り、バイバイした。
車内には運転手さんと私の2人だけ。カーステレオの声が急に大きく感じる。
話題に上るのは、子どもたちの様子。最近車の中でマナーが悪いから気をつけるように言って欲しいとか、そんなことを。
それから、会社で働くことについて。それは私から尋ねた。私の知らない経験をされてきた人生の先輩と、せっかくお話しできるチャンスなのだから、色々聞いてみたい。
「挨拶はやっぱり大事だね。何はともあれ、挨拶」
私は頷いた。挨拶って大事だなあ。本当にその通りだと思う。
そして考えた。会社で「べーっ」なんて挨拶してたら怒られちゃうなきっと。
みんな同じ言葉と決まっているのはどうしてだろう。学校で言わされて言う「おはようございます」や「こんにちは」は、どこまでも無益な気がした。なんども口にされ、使い古された結果、意味を失った残骸。
一方で心から出た挨拶は、自分の存在をこの上なく確かなものにしてくれる。誰の前でも消えることない自分の輝きが、目の前の誰かを一瞬照らす。
一人ひとり挨拶の言葉が違っていたのなら、それはどんな風に響くのだろう。でもきっと言い表せない。涙や笑顔や抑えられない怒りが、人間の本質なのだと思う。
そもそも言葉にすることってめっちゃ難しいわけですからね。なんも考えずに挨拶しようとしてる人の方が多いのが異常な気がします。