名古屋って人が多いんだな。家に一番近い図書館にはいつ行っても読みたい本が「貸出中」。知立だったら予約しないでも2週間後にはだいたい借りることができるのに。
予約してまで読みたいっていうわけじゃないんだ。あっさり諦めて、私は別の本を手に取る。『きいろいゾウ』。
なんでもいい。
本はいくらでもある。河原で水切りのための石を選ぶように、ほとんど考えることなく決めた。
図書館には特別な雰囲気がある。
知立の図書館。
学校の図書館。
大学の図書館。
ロシアの図書館。
最近通い始めた名古屋市の図書館。
どの図書館もいい。無料で本を借りれるって、すばらしいことだ。
背の高い書棚と書棚の間をゆっくり歩く。ずらりと並んだタイトルを眺めるだけで、楽しい。
そこにあるのはきちんと分類され、決まった場所に収められた本たち。こんなにたくさんの中から一冊を見つけるってすごいことだよね。
ときどき見覚えのある背表紙を見つける。今日見かけたのは、『舟を編む』。これ前に読んだ。こんなところにあるんだなあ。あ、この本も?『幻想映画館』。違うな、映画館は読んでない。私が読んだのは郵便局だったような気がする。どんな話だったっけ。いつ読んだっけ…。
読んだ本の内容はわりと覚えている方だと思う。タイトルを見ると部分的によみがえってくる。
けれども難しいのは、本の一部分の光景だけを思い出した時。タイトルがわからない。どんなストーリーだったかもおぼろげで、なんの本だったか探す手がかりがまるでない。
例えば、自転車がスイスイ坂道を登っていくところ。魚のようにスイスイと。たぶん、茶髪の、学校の先生。おそらくその場面は、本屋で立ち読みでもしていたのかもしれない。自転車の男の人がどうなったのか、続きをさっぱり思い出せない。
何かのきっかけで読んだ本のことを思い出す。
この前は、フランスかどこかの恋人同士の話を思い出した。クリスマス、恋人にプレゼントを渡したいけど、お金がない。彼女は自分の髪を売って彼に時計の鎖を買った。一方彼は時計を売って彼女に髪留めを買う。
タイトルは忘れちゃったけど、そんな話を思い出したんだ。きっかけは、「ヘアー・ドネイション」という言葉を教えてもらったこと。病院の子どもたちのかつらを作るため、自分の髪の毛を伸ばして寄付をするのだそう。
しかし物語の中では髪の毛を売ってお金に変える。だから実際「ドネイション」、寄付とは違う。
私がその物語を読んだのはかなり昔だ。「ヘアー・ドネイション」なんて知らなかった。ただ、髪の毛を必要としている人がどこかにいるんだなあ、というのが驚きだった。
そんな風に、物語と現実がつながり合う瞬間がある。
手当たり次第に読み捨てる。それこそわんこそばみたいなペースで、一冊読み終えるとすぐ次の本へ。
ずいぶん乱暴な読書ライフかもしれない。作家さんがどれほど時間をかけてひとつの小説を書き上げているかを思うと、なんだか申し訳ない気持ちになる。もっとゆっくりていねいに読んだらいいのに。
そんなめちゃめちゃな暴読をするくせに、読んだ本のことはずっと忘れないから不思議だ。
今までに私はいったい何冊の本を読んだだろう。これから先、あと何冊読むことができるだろう?
図書館にある本全てを読むなんて、一生かかってもできそうにない。
だからそんなに、何かに急き立てられるみたいに、読んでしまうのだろうか。