料理が嫌になった時は初心に返れ

ごぼうをささがきにするのが好きだ。
皮を削いだら右手でごぼうを、左手で包丁を握る。下には水を張ったボウル。変色防止のためほんの少し酢を垂らしてある。
それから、先端に刃を当てた。鉛筆を削るみたいにクルクル回しながら尖らせていく。

しゃっ。
しゃっ。
しゃっ。
コツは包丁の刃を寝かせること。少しでも深く突き立てると引っかかる。ごぼうの繊維に逆らわないように薄く削りとる。
繰り返す1回1回が修行だ。今のは包丁を持つ手に力が入りすぎていた。今のは刃の角度が深かった。切り口が上すぎた。
包丁の使い方が荒っぽい。急ぐ必要はないのに気が急いてしまう。そのうち手を切ってしまいそうだなと思うけど、直らない。直す気もないみたいだ。
だんだん終わりが近づいてきた。本当に指を切ってしまわないうちに適当なところで切り上げて残りは千切りにする。
ごぼう一本はあっという間に切り尽くしてしまう。その頃にはボウルの水は茶色く変わる。木屑のようなごぼうのかけらが底でこんもり山を作っている。
出来上がったきんぴらに胡麻を振りかけ、一口食べたら固かった。ささがきにする時の厚みが不揃いだったせいかもしれない。厚みのあるものは本当に木屑を食べているみたい。
鍋の残りをもう一度を火にかけながら、皿に盛った分の固いごぼうをもそもそ食べた。

いろんなものをすっぱり断ち切りたくなるんだ。仕事に家族、友達、大事にしているもの全て。目には見えない、人との繋がりを綺麗に切れたらなんだか気持ち良さそうだ。
思うだけで行動には移さないが、こんな気分で生きていけるんだろうか。時々心配になる。
無性に噛みつきたくなる時があるんだよね。よくない気持ちがむくむく膨れ上がって、でも具体的には何に腹を立てているのかわからない。
噛みつく代わりに足に爪を立てた。血が出てきたのでやめて、代わりに絵を描いた。色鉛筆が折れそうなほど塗りつぶした。牙が生えた赤い生き物。

温泉に行く。私は癒されたかった。
休日だったけど、真夏の温泉は空いていた。湯船でゆったり足を伸ばす。
露天風呂の水面には緑が映り込んで美しい。街中のスーパー銭湯ということを一時忘れる。
私の手足もごぼうのように血の出ない体だったらいいのに。細かく削り取って水に沈めてあくを抜きたい。嫌な気持ちを全て捨て去って綺麗な心で生きていきたい。

料理が嫌になった時は初心に返れ。
それは私の場合、子どもの頃よく手伝わされた記憶だった。
母に呼ばれてキッチンに行くと、
「きゅうりの酢ものを作るからこれ搾って」
「トマトを切って」
「イカのはらわたを出してほしい」
母は手荒れがひどかったため、手に染みるものは私か妹にやらせた。絞るものはきゅうり以外に多岐に渡った。水に戻した切り干し大根、茹でたもやし、ほうれん草、佃煮にするゴーヤ、糠を落としてさっと水で洗った茄子。
イカのはらわたはぐにゃぐにゃして潰れると黄色いぬるぬるした汁が出てくるのでできれば手を触れたくなかったけれど、何度かやっているうちに慣れた。大人になった今では怖いもの触れたさで丸ごとイカを買ってくる。
ごぼうのささがきも母から教えてもらった。母は上手だったけど、私がやると何度やっても不揃いな木屑があちこちに飛ぶ。ボウルの中に上手く着水させることができるようになったのはごく最近のことだ。

今は誰の手伝いでもなく自分の料理をする。なぜそんな手間ひまかかることをするのかと聞かれると答えようがない。気づいたらごぼうを買っていた。子どもの頃から慣れ親しんだ料理や食べ物になんとなく安心するのかもしれない。
子どもの頃も噛みつきたい気持ちの時はあったはずだ。それでも今までやり過ごしてこられたのだから、多分これからもなんとかなるだろう。
ごぼうをささがきにするのはきっと、私にとって大切なことなのだ。誰も褒めてはくれないが、私は私の生活を守っていきたい。

2、3日して自分の描いた絵を眺めてみると、本当にめちゃくちゃだなと思った。怒りに任せてクレヨンで塗りつぶす子どもと変わらない。なんでこんなもの描いたんだっけ。

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