そこに星があると知っているから

目を凝らせばもうひとつ、ふたつ、すぐに見えるようになる。

 

ずいぶん久しぶりにオリオン座を見た気がする。ベランダで洗濯物を干す時は必ず空を見上げて星を探していた。朝家を出る前でも夜寝る前でも、晴れてさえいれば大抵ひとつは星が見える。

今は夜。

私が立っている場所はそこまでではなかったけれど、上空ではもっと風が強いのかもしれない。明るい星がちかちか瞬いていた。瞬くたびに星は青白かったり、赤かったり、色を変えるように見える。風にゆらめく蝋燭の炎にも似ている。目を離した隙にふっと消えてしまいそうなのに、いつまでも消えない。

タオルを全て干し終える前に上の方にオリオン座の三つ星を見つけた。すぐに砂時計の形が見えてくる。どっちがリゲルでどっちがペテルギウスか忘れた。赤い方がペテルギウスだっけ。

面白いことに、オリオン座の形を思い描くと一気に見える星が増えた。「ここに星があるはずだ」と思って見つめるから、星が見えるようになるのか。オリオン星雲だって何となく見えるような気がしてくる。

オリオン座の下にあるということは、一番最初に目に入った明るい星はシリウスかな。プロキオンは建物の影に隠れているようだ。主要な明るい星以外は名前を知らないけれど、上の方にいくつか小さな星たちが散らばっているのも見える。

その中にひとつ、シリウスに負けず劣らず明るい星が輝いている。木星だと思う。

多分私はあの木星を4時間前にも見つめていた。反対側の空には金星があった。その時はまだオリオン座は姿を現していなかった。

 

その日の夕方。

何もかもがどうでもいいような気分だった。どうでもいい。死んでもいいと思うと、どうしてこんなに悲しくなるのかな。

帰りのバスはよく遅れる。遅れないことの方がむしろ珍しいくらいだ。今日は、このまま永遠にバスが来なくてもいいとさえ思った。でも行き先を記した光る文字が近づいてくると、待ち侘びた気持ちでやっぱり乗り込む。

あのままバスに乗らずにオリオン座が現れるまで待ち続けたら、風邪のひとつでもひくことができただろうか。ただの風邪をこじらせてあっけなく死んでしまうのが私の望み。

一日の終わりに星を見ることができたのは救いだ。少なくとも星は「どうでもいい」にカテゴライズされていない。「何もかも」という言葉ですっかり心を塗りつぶしてしまわないで。

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